だれかを責めるときには
「みんなとちがう」というけど
毎回「みんな」にあてはまる
そんなやつなんているのかよ
出典: http://lyrics.jetmute.com/viewlyrics.php?id=2797557
歌詞で歌われているようにみんなというものは概念でしかありません。
そして人は本当はそれぞれ個性的だから、誰もがみんなと違う部分を抱えています。
ただ恋をしてるだけなの
機械みたいに生きてるわけじゃない
この世が壊れてしまうとき
一緒にいられる人がいる
出典: http://lyrics.jetmute.com/viewlyrics.php?id=2797557
この歌に歌われているように、もしきゃりーが誰かと熱愛していたとしても、ただ恋をしているだけなのです。
そしてもしこの世が壊れてしまうような時に、一緒にいられる人がいるという思いは、その相手が誰だったとしても純粋なものなのではないでしょうか?
あたし もんだいガール
退屈したくないわいわ
キミも もんだいがある
普通になんてなれないでしょ
あたしは もんだいガール
出典: http://lyrics.jetmute.com/viewlyrics.php?id=2797557
そして自分自身のことを問題があると歌っています。
これはきゃりー自身のことでもあり、多くの女性の気持ちなのではないでしょうか?
厳しくしつけられて育ったきゃりー
wikipediaによるときゃりーは幼少期、母親から厳しくしつけられて育ったそうです。
高校時代には携帯電話の使用制限や化粧の禁止なども言われていたらしく、自分自身の可能性の前できっと苦しんでいた時期もあったのでしょう。
そういうことをふまえてこの歌を考えると、きゃりーがどうどうと自分自身のことを問題があると歌う意味はとても深いところにあるのではないかと思わされます。
SEKAI NO OWARI・Fukaseと熱愛していたというきゃりー
真実は筆者にはわかりませんが、世間の価値観や母親に対して、わたしはもんだいガールだと宣言しているようにも読めます。
その中でただ恋をしているだけなのです。
筆者はそういう少年少女の気持ちを歌った世間に対するアンサーソングとしてこの歌が好きです。
深い愛の歌とか、情熱的な恋の歌ではなく、ただ恋をしたい。
そういう気持ちが歌われているのですから、それはやはりただ恋がしたいということだったのでしょう。
歌に思いはあらわれているか?
ただ恋がしたいと歌ったきゃりーぱみゅぱみゅ。
Fukaseとの熱愛報道時に、その心の深層が歌にあらわれていたのでしょうか?
シンガーソングライターの場合は自分で歌詞を書いているから、そこから心理学的にその心を読み解くことは可能かもしれません。
きゃりーぱみゅぱみゅの場合は、どうでしょうか?
筆者はやはり歌を歌うことには心理的な象徴があらわれていると考えています。
歌にはまだ解明されていない魔法があるといっても過言ではないかもしれませんね。
きゃりーぱみゅぱみゅのその他の楽曲
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つけまつける
きゃりーぱみゅぱみゅの楽曲にはファッションや恋、そして音楽に憧れる女の子たちの夢と希望がつまっていると思います。