RADWIMPS「37458」の読み方って?
RADWIMPSの『アルトコロニーの定理』に収録された「37458」は"みなしごはっち"と読みます。
アニメ『昆虫物語 みなしごハッチ』との関係性
1970年に放送されていたアニメ『昆虫物語 みなしごハッチ』からタイトルが名付けされている可能性があります。
このアニメは、スズメバチに襲われた主人公のハッチの母親探しの物語。
タイトルや歌詞と関連性はあるのでしょうか?
スズメバチに襲われ母と離れ離れになってしまった主人公ミツバチのハッチがまだ見ぬ母を探して苦難の旅をするストーリー。ハッチがまだ卵の頃にシマコハナバチのおばさんに拾われ育てられていたが、自分がミツバチの子であることを知り、本当の母を探しに旅に出る。ほぼ毎回悪役にいじめられたり、他の虫の死に遭遇するなど子供向けアニメにしては悲劇的なストーリーが多い。
「37458(みなしごハッチ)」の歌詞を読む
このなんとでも言える世界がいやだ
何の気なしに見てたい ただ
ただそれだけなのに
このどうとでもとれる世界がいやだ
どうでもいい もう黙っててパパ
黙っててパパ
出典: 37458/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎
世界は言葉でどうとでも言える。 野田はそう考えています。
けれど、父親は世界はこうだと言ってくるのでしょう。
だから世界をこうだと言ってくる父親に黙っていて欲しいのです。
例えば、「働かなければならない世界だ。学校へ行かなければならない世界だ。」
そう言うふうに言われてしまうと、確かにその通りとは思いつつ、父親に黙っていて欲しいものだと思います。
人間には父性と母性があり、父親は命令をする存在、母親は言うことを聞いてくれる存在と簡単に言うこともできるかもしれません。
父親は子どもを教育し、母親が子どもの感情を受け止める。
そういう父性と母性の考え方もあると思います。
ここでは子どもたちに"こうだ"と言う父性に対して、文句を言っているのです。
「絶対なんて絶対ない」
ってそれはもうすでに絶対です
一体全体どうしたんだい?
何がなんだかもうわからない
「全てのことに自信がない」
ってそれはもう立派な自信です
でもだからって何も変わらない
お願い うるさい もう消えてください
出典: 37458/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎
"絶対なんて絶対ない"
"全てのことに自信がない" など、世間一般でいろいろ言ってくることを父性として考え、そういう言葉に反論をしています。
指示的な言葉に、"お願い うるさい もう消えてください"と言っているのです。
だからこのなんとでも言える世界がいやだ
何の気なしに見てたい ただ
ただそれだけなのに
このどうとでもとれる世界がいやだ
どうでもいい もう黙っててパパ 黙っててパパ
出典: 37458/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎
"なんとでも言える世界"を何も言うことなく見ていたいのが僕です。
でも父親は何か言葉にしろと言ってくるのです。
だから父親的な何かには黙っていてほしい。 自分で思うようにしたいのです。
このなんとでも言える世界なのに
この何とも言えない想いはなに
このなんとでも言える世界がいやだ
こんなに歌唄えちゃう世界がいやだ
出典: 37458/作詞:野田洋次郎 作曲:野田洋次郎
なんとでも言える世界なのに、言葉にできない思いがあります。
そしてこんなふうにその思いを歌にできない、こんな歌が歌えてしまうことが嫌なのです。
父性をどう乗り越えていくか?
父性を子どもはどう乗り越えていけばいいでしょうか?
母性は受け止めてくれる存在だから、乗り越えるという言葉は少し違う気がします。
でも父性はこの世界を作り上げ、生まれてくる子どもに指示的な存在です。
新しく生まれてくる子どもたちは、その指示的な言葉を受け止めながら、より新しい自分や世界を求めます。
ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』は、父親殺しの物語であり、父親を誰かが殺す物語だったからこそ、その後にロシア革命が起きたという怖い物語です。
この世界でも父親を殺してしまうことは、革命的な何かに繋がってしまいます。
だから父親を受け継ぎ、自分も父になることが求められます。
受け継ぐことが必要なのです。
しかし、父親をそのまま受け継ぐだけでは世界は発展していきません。
ここに父親への反抗と父への許し、そして受け継ぐものと獲得するものという現代的な物語の可能性があると思います。
「37458」のタイトルの元ネタである『みなしごハッチ』は自分を受け止めてくれる母親探しの物語。
この歌はそれをちょっと借用して父親との関係を描いた歌です。
父性に対して、いっそ父親なんていなければいいという、自ら"みなしご"になりたいと望む歌。
でも、きっとみなしごにはなれないのでしょうね。