スクランブル交差点 何年も変わらず
雑踏がうごめいて 苦しい
Crazy
出典: 少年/作詞:小竹正人 作曲:Didrik Thott・Octobar
ここの歌詞が歌われるとき、リリックビデオではスクランブル交差点の映像が流れます。
何人もの人が顔を合わせることもなく、ただすれ違っていくだけの風景。
見慣れた風景ではあるけれど、こうして眺めてみるとなんだか虚しさを感じます。
道行く人々の足元をアップにして映しているのも、無機質な人の流れを表しているからではないでしょうか?
似たような靴ばかりが並ぶスクランブル交差点の中心に立って、「僕」は息苦しさを訴えます。
ここに自分の居場所はない。そう感じているのかもしれません。
最後の「Crazy」は、恐らく”気が狂いそう”という意味で使われているのだと思います。
人混みに押し流されるような日々を送っていると、急に情緒不安定になったりするものです。
心の余裕を失くしてしまっている「僕」の様子が伝わってきます。
すべては叶えたい夢のため
「僕」にはどうやら叶えたい夢があったようです。
その夢を叶えるためにあえて困難な道を選んできたのでしょう。
時間に置いていかれるような気持ちになりながら、「僕」も必死で変わろうとしていたんですね。
僕の中に芽生えた想い
無邪気な自由手離し 未来の欠片拾い
がむしゃらに走って あれから10年経って
いつでも夢だけを 追い続けて 生きていた
出典: 少年/作詞:小竹正人 作曲:Didrik Thott・Octobar
「あれから10年」というのは、きっと夢を追いかけ始めた頃から10年経ったという意味なのでしょう。
夢のために自由を手放し、未来へと繋がりそうなものを必死に掻き集めてきた。
そんな10年間の中で、手に入れたものもあれば失ったものもあるはずです。
大人になった今、失ったものを思い出して悲しみに暮れることもあるかもしれません。
しかし、それでも「僕」は夢を追いかけ続けてきました。
人波に逆らい、息苦しくなりながらも雑踏の中を歩き、そうしてたどり着いた今。
「僕」には”ある想い”が芽生えたようです。
その想いとは、いったい何なのか?
次の歌詞で答えが明かされます。
あの日の自分に勇気をあげたい
大人の誰もが昔は少年や少女と呼ばれる時代を送っていました。
その当時、自分が何を考えていたか思い出せますか?
現状に不満を抱えていたり、先行きの見えない未来を不安に思っていたりしたかもしれません。
子供の頃は子供なりの悩みや不安があったはず。
そんな迷いを抱えていた頃の自分に会えるなら、「心配しなくていい」と勇気づけてあげたいですね。
迷わなくていい
あの日の少年に もしも会えたなら
伝えたいんだ 迷わなくていいよと
ずっと ずっと 捜してた輝きを
いつの日か 手にすると
出典: 少年/作詞:小竹正人 作曲:Didrik Thott・Octobar
「あの日の少年」とはもちろん過去の自分のこと。
「僕」が夢を追いかけ始めたのは、少年時代からだったようです。
本当に夢を叶えることなんてできるのか?
努力したところですべて無駄に終わってしまうんじゃないか?
少年だった「僕」は、きっとたくさんの悩みを抱えていたはず。
その当時の葛藤を今の「僕」はよく覚えています。
だからこそ伝えたい想いが芽生えました。
「迷わなくていいよ」。
あの日の自分に伝えたい想いは、その一言だけ。
追いかけ続けた夢を叶えたとき、真っ先に頭に浮かんだのが「あの日の少年」だったのでしょう。
不安や迷いでいっぱいになっていた自分。
そんな自分に今こそエールを送りたくなったのかもしれません。
焦る必要なんてない
時は流れ 僕は僕で
決して 止まらないさ
出典: 少年/作詞:小竹正人 作曲:Didrik Thott・Octobar
曲の冒頭では、「僕」が時間に置いていかれているような様子が歌われていました。
しかし、ここの歌詞では「決して止まらない」と歌っています。
周囲の環境は常に変わっていく。
そして、それは自分自身にも言えることでした。
自分の変化は周りと比べてゆっくりかもしれません。
けれど、確実に変わっていける。
追いかけ続けた夢を叶えた今だから、「僕」は変化した自分に気付くことができたのでしょう。
きっと自分が気付かなかっただけで、「僕」は夢に向かって日々前進していたはずです。
時間に置いていかれる。そう感じたとしても、焦る必要なんてどこにもない。
そう教えてくれているような歌詞ですね。