まるで洋楽のような「ラ・ヴィアンローズ」
ニュータイプのアイドル・吉川晃司
1984年9月10日発表、吉川晃司の通算3作目のシングル「ラ・ヴィアンローズ」。
大沢誉志幸が「この曲には日本語の歌詞は乗らないだろう」と挑発的で斬新な作曲をしました。
そんな挑発をものともせずに売野雅勇は印象的な言葉をたくさん散りばめた見事な歌詞を創ります。
クリエイター同士の火花が散るような意地の闘いで熱いサウンドになった「ラ・ヴィアンローズ」。
オリコン・シングル・チャートでは最高4位をマークします。
当時はまだニュータイプのアイドルですがやがて独り立ちしたアーティストとして頭角を現す吉川晃司。
アイドル時代でも他のタレントとはひと味もふた味も違うタイプのスターでした。
そんな彼と公私共に仲が良かった大沢誉志幸の作曲によりさらにスター性を増したのがこの曲です。
名曲「ラ・ヴィアンローズ」の歌詞を紐解いて往年の吉川晃司を解剖しましょう。
ビッグになりたいオーラが漂う
アイドル歌謡を超えたサウンド
吉川晃司のデビューは鮮烈でした。
渡辺プロダクションが総力を挙げてプッシュしまくったなどの逸話は完全な裏話に過ぎません。
吉川晃司本人から漂う「オレは何者かになってやる」というオーラがブラウン管を通して漂ってきました。
アイドル路線での売出しでしたがとてもじゃないですが「よいこ」には収まらないキャラです。
破天荒なパフォーマンスや学園祭で緞帳を破損して多額の損害金を生むなどとにかくスケールがでかい。
挙げ句には紅白歌合戦でジミ・ヘンドリックスを真似てギターを燃やすパフォーマンスをしてNHK出禁。
彼にまつわる豪快なエピソードは枚挙に暇がありません。
それでも吉川晃司をアイドルの枠内で捉えていた視聴者たちの度量もたいしたものです。
様々な伝説を残していった吉川晃司ですが音楽的にも耳を傾けるべき魅力がたくさんあります。
「巻き舌」と呼ばれる英語じみた発声で日本語の歌詞を洋楽のように響かせるテクニック。
斬新なサウンド・プロダクションを支えた作曲家・大沢誉志幸やアレンジャー・木崎賢治の影。
アイドル歌謡を越えたクオリティの作品ばかりで今聴いてもその魅力はまったく失われていません。
「ラ・ヴィアンローズ」はその中でも最たるものでしょう。
音作りは日本のアイドル歌謡ではなく完全に洋楽のそれですし、歌詞も印象的で新鮮でした。
前置きが長くなりましたが「ラ・ヴィアンローズ」の歌詞を実際に見ていきましょう。
キラキラの歌詞とサウンド
売野雅勇の際立つ才能
エメラルドのカクテルに
消える光のあわ 飲みほして
You say “I Love You"
聞こえないふり
出典: ラ・ヴィアンローズ/作詞:売野雅勇 作曲:大沢誉志幸
アイドル歌謡とは思えないほど手の混んだサウンドに驚きます。
洋楽的な雰囲気がどこまでも大切に尊重されているのです。
複雑なメロディとサウンドで日本語は乗りづらいはずですが売野雅勇はさりげなく一筆で歌詞を書ききります。
彼はこの頃、飛ぶ鳥を落とす勢いのチェッカーズの歌詞を一手に手がけて本人も時代の寵児になるのです。
後から振り返ると1980年代の歌謡界を象徴する作詞家となりました。
才能の塊でギラギラと漲っていた時期でしょう。
吉川晃司を刺激した人
原田真二から学んだ「巻き舌」
大沢誉志幸の作曲も売野雅勇の作詞も例えようもなく素晴らしい。
一方で「ラ・ヴィアンローズ」を特別な歌にしたのは吉川晃司の歌唱力の影響が一番大きいです。
「巻き舌」
吉川晃司はこの歌唱法を原田真二から学びました。
原田真二は新時代のSSW(シンガー・ソング・ライター)の先駆けです。
多彩な才能で様々な楽器を演奏しプロデュース能力もあるアーティスト。
この後も立て続けにレコードをリリースして原田真二は一躍「時の人」になります。
このときの原田真二はまだ10代です。
早熟の天才。
広島出身ということもあり同郷の吉川晃司は原田真二の洋楽的な歌唱法に衝撃を受けます。
原田真二なくして後の吉川晃司はいなかったかもしれません。
吉川晃司はデビュー後に原田真二に楽曲提供をお願いするほど影響を隠さないようになりました。
「巻き舌」に関しては同時期に佐野元春も洋楽的歌唱法でデビューします。
しかし吉川晃司はあくまでも自分は原田真二に影響を受けたと断言するのです。
「ラ・ヴィアンローズ」でも原田真二譲りの歌唱法で難曲をさらりと歌いきります。
原田真二という先人がいたとはいえ吉川晃司の吸収力も素晴らしいです。
尚、この歌い出しにアルコールが登場しますがこのとき吉川晃司は未成年でした。
それでも享楽的な雰囲気を伝えきったのですから凄い表現力です。