あなたを探すために歩いた道はアスファルト舗装の道ではありません。
石を敷き詰めて作った「石畳(いしだたみ)」と呼ばれる長崎を代表するロケーションです。
長崎県長崎市東山手の旧居留地時代につくられた石畳の坂道・石段。異国情緒を伝える洋館群が建ち並び、眼下に長崎港を臨景観に恵まれたロケーションにある。高台に住む地域住人に欠くことのできない生活道路として親しまれている。 小雨が降って石畳がしっとり濡れたオランダ坂の情景は、風情があるといわれ人気も高い。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/オランダ坂
晴天であれば眼下に広がる海を坂の上から眺めることができます。
明るい風景が広がる晴れた日に対比するように、別の風景が見える雨の坂道。
傘をさして、濡れる足元を気にして歩く姿はうつむきがちに…。
エキゾチックな風景を作る石だたみは、悲しい恋には少し酷なのかもしれません。
あなたを探して歩く雨に濡れた道は、本当ならあなたと歩きたい道。
雨の中の石だたみはロマンチックな2人に似合う道です。
でも今は独り会えないあなたを探す私に雨が降ります。
止まらない涙のように降り続く雨。
タイトルを再度確認するように歌う「長崎は今日も雨だった」。
嘆きの言葉も添えて、昨日から続く雨の中の涙を描きます。
悲しい恋はしたくないけれど、雨の長崎を訪れたくなる歌詞。
歌に出てくる地名の魅力を引き出す、ご当地ソングのお手本ともいえます。
叶わぬ恋と知っていた?
訪れたい街長崎。でも歌の主人公は旅行で訪れた観光客ではありません。
その街で生きているから出会ってしまった恋に泣いています。
次に出てくる地名にも注目しましょう。
きっとここにいると信じて…
夜の丸山 たずねても
冷たい風が 身に沁みる
出典: 長崎は今日も雨だった/作詞:永田貴子 作曲:彩木雅夫
歌詞に出てくる地名「丸山」は長崎の歴史を背負った街です。
江戸時代には遊郭として栄えました。その面影を今でも見ることができます。
今はその栄華を受け継いだ歓楽街として名を知られている街。
歌の主人公はこの街を煩雑に訪れる、もしくはここで働いているのかもしれません。
恋をした相手と出会ったのはネオンの瞬きが一晩中消えない街でした。
もしかしてまた来ているかも…淡い期待を抱いて歩くネオン街。
心の中を見透かして、冷えた風が通り過ぎて行きました。
探す相手は旅の途中でたまたま訪れた人だった?などと想像をしてしまいます。
それは歌の舞台が長崎だからこそ。
でも長崎で生きていく歌の主人公には、涙で滲んだ街しか見えていません。
悲しみを抱えたままで
愛し 愛しのひとは
どこに どこにいるのか
教えて欲しい 街の灯よ
ああ 長崎は今日も雨だった
出典: 長崎は今日も雨だった/作詞:永田貴子 作曲:彩木雅夫
あの日会ったお店をもう一度訪れているかもしれない。
あのお店でもう一度私に会いたいと思って、あなたは来てくれるはず…。
私との恋を忘れていないと信じて歩くネオン街。
会いたいという一途さの裏には、今にも崩れ落ちそうな心が見えています。
自分の弱ささえも忘れてしまう、きっと会えるはずという強い思い。
独りあきらめきれない恋を、手を伸ばすように追い求めるのです。
どうにもしようのない心を繰り返す歌詞は泣いています。
そこに追い打ちをかけるように降り続く雨。
雨と涙で滲むネオンの向こうに見える恋は、もう形を失くしているのでしょう。
恋が終わることは分かっているけれど、知らないふりをして長崎の街に雨が降り続きます。
自分が結果を決めた恋だけど
捨てられるのではなく、そうしたのは私
頬にこぼれる なみだの雨に
命も恋も 捨てたのに
出典: 長崎は今日も雨だった/作詞:永田貴子 作曲:彩木雅夫
恋は終わります。雨はまだ降り続いているのに、恋だけは終わりを迎えるのです。
「長崎は今日も雨だった」と切ないタイトルの歌の中で、一番心に沁みるのはこのフレーズ。
終わりにするために「命」と「恋」を捨てました。
命を懸けた恋・恋に命を懸ける、こんな言い回しもあります。
ちょっと重いかもしれないけれど、それほどに恋する相手を好きになったのです。
辛く悲しい恋をしたのは、今回が初めてでは無いのでしょう。
これまでも刹那の恋をして涙を流したことがあります。
続かない恋を楽しんだこともありました。
でも今回は違います。忘れられないのです、恋が続くと思わせてくれたあなたのことを。
自ら飛び込んだ恋に、すべてを投げうって身も心も捧げてしまいました。
でも捨てたのは自分。捨てられたのでは無いのです。
涙をながしたまま恋の終わりを自分に言い聞かせています。
今も後悔や未練は消しきれません。降り続く雨のように、心の中の悲しみは続いたままです。