人生を語らず/吉田拓郎
はじめに
フォークソングのシンガーソングライターとして不動の地位を確立する吉田拓郎さん。
自身の音楽活動に捉われず、音楽プロデューサーや楽曲提供、テレビにラジオと獅子奮迅の活躍を見せる彼の生き方そのものに多くの共感が寄せられています。
今回はそんな拓郎さんの名曲の一つである「人生を語らず」に焦点を当てます。
今はまだ人生を語らず/よしだたくろう
「人生を語らず」は1974年発売のアルバム「今はまだ人生を語らず」に収録されています。
当時の音楽シーンにおけるフォークソングといえば、政治性が強く反社会的な若者の音楽でした。
それを、自分の生き方や恋愛といったものをテーマに取り上げ、一般的な音楽にしたのも拓郎さんです。
しかし当時の強硬なフォークファンからは、「大衆に迎合している」「儲け主義の裏切り者」と思われていたようです。
実際に妨害にあったことは数知れず、現在のような状況になるとは当時は考えられなかったのではないでしょうか。
また、今でこそアーティストの「アルバム」が売れるのは当たり前ですが、当時はシングルセールスが主体でした。
「シングルの寄せ集め」または、「コアなファンの為のもの」であった「アルバム」を手軽に購入する物へ変えたのも拓郎さんの功績でしょう。
心に沁みる歌詞
この歌詞について
「人生を語らず」は、拓郎さんの生き方について書かれた曲です。
ジョイントコンサートで帰れコールが起こったり、ステージに物が投げ込まれても、めげることなく(というか気にしてない?)ひた向きに前進してきた拓郎さん。
その強烈な反骨精神を遺憾なく発揮した一曲と言えるでしょう。
「1970年代の頃は、音楽なら誰にも負けないと風をきって歩いていた。」と本人自ら語っています。
時代を変えるような人は最初は受け入れられないことも多いものです、そしてその逆風に負けない人こそ時代を変えるのです。
この歌詞の意味は
朝日が昇るから
起きるんじゃなくて
目覚める時だから 旅をする
教えられるものに 別れを告げて
届かないものを 身近に感じて
出典: 人生を語らず/作詞:吉田拓郎 作曲:吉田拓郎
太陽が昇る頃人間は目を覚まします。
しかしそれは、太陽が昇るからではなく、目覚める時だからです。
自分で行動すると決めたから行動するのであって、行動しなさいと教えられたからではなのです。
教えられるもの=常識や一般論に、別れを告げる。届かないものと教えられたものを身近に感じる。するとどうでしょう。
人生には不可能なんて事はありません。
人にはできないことを平然とやってのける拓郎さんらしい前向きなメッセージです。
嵐の中に 人の姿を見たら
消えいるような 叫びをきこう
わかり合うよりは たしかめ合う事だ
季節のめぐる中で 今日を確かめる
出典: 人生を語らず/作詞:吉田拓郎 作曲:吉田拓郎
巨大なムーブメントや大きな力を嵐にたとえ、その中でかき消されそうになっている叫びをきこうとしています。
立ち向かう人にこそ何かあるのかもしれません。
「わかり合うよりは たしかめ合う事」とは、すり寄るのではなく本質を見てたしかめ合うという事です。
馴れ合いはしないストイックな姿勢ですね。
あの人のための 自分などと言わず
あの人のために 去り行く事だ
空を飛ぶ事よりは 地をはうために
口を閉ざすんだ 臆病者として
出典: 人生を語らず/作詞:吉田拓郎 作曲:吉田拓郎
「あの人のための自分」と思うと、優しさがあるように感じます。しかし、相手に甘えさせている状態は、自分も甘えている状態です。
それではお互いの為になりませんから、あの人のために去り行くのです。
何者にも依存しないという事でしょう。ここでもストイックですね。
おそすぎる事はない 早すぎる冬よりも
始発電車は行け 風を切ってすすめ
目の前のコップの水を ひと息にのみほせば
傷もいえるし それからでもおそくない
出典: 人生を語らず/作詞:吉田拓郎 作曲:吉田拓郎
何かを始めるのに「おそすぎる事はない」のです。
早すぎる冬はまだ来ていない、まだ生きているのだからやりたいと思う事は何でもやってやろう。
疲れを感じたのなら「一休みして、それから始めればいいじゃないか。」というやりたい事を諦めない姿勢を表現しています。