他方で、風が運んでくるのは、火ではなく煙です。
それも「声のない叫び」の混じる煙。
これは単なる情景描写ではないでしょう。
例えば「がれき」と化してしまったもの、そしてその下敷きになってしまった全てのもの。
それら全てがもうあげることのできない「声」。
それが煙に形を変えて、焼けあとから立ちのぼり、風に煽られて消えていく。
そんな光景が脳裏に浮かび、憤りのような悲嘆のような悔恨のような感情が渦を巻く。
たった数行で、聞き手の感情を大きく揺さぶるフレーズです。
行き場のない感情
言葉にいったい何の意味がある 乾く冬の夕
出典: 満月の夕/作詞:中川敬,山口洋 作曲:中川敬,山口洋
語られなかった「声」を惜しみながらも、それと相反するように「言葉」に感じる思い。
この「言葉」は、もしかすると語られなかった「声」とは別のものなのかもしれません。
そんな「言葉」は、この光景の前では意味を為さない。
"歌詞"という言葉を扱ってきたはずの歌い手がそんな事を歌っている。
目にし、体感した出来事に、よほど強い衝撃を受けたという事でしょう。
憤りとも悲嘆ともつかない強い感情と、その行き場のなさを感じさせます。
「唄」が響く場所
きっかけ、それは
時を超え国境線から 幾千里のがれきの町に立つ
この胸の振り子は鳴らす "今"を刻むため
出典: 満月の夕/作詞:中川敬,山口洋 作曲:中川敬,山口洋
目を疑うような光景を前に立ちすくみ、心が大きく揺り動かされながらも、やるせない思いでいる。
この最初の二つの視点が、二人の作詞家それぞれの視点です。
彼らがそれぞれの立場から見つめているもの。
それは阪神・淡路大震災により被災した、街と人々でした。
二つの言葉を、一つの歌に
地震が起きたのは明け方で、その夜は満月が空に浮かんでいたことから、このタイトルがつけられました。
元々関西在住で、自らも被災し、直後から避難所などでこの曲を歌い続けてきた中川さん。
そして関東から関西へ向かい、ボランティア活動などを通して被災地を見つめていた山口さん。
二つの「満月の夕」は、BRAHMANのTOSHI-LOWさんにより、一つの曲として編み上げられます。
TOSHI-LOWさんも、東日本大震災の被災地でボランティア活動などの支援を行っています。
彼がそこで見たもの、そして感じたことは、双方の視点があって初めて表現できるものなのでしょう。
いつにも通じるもの
曲の中には具体的な地名などは書かれていません。
ただ、大きな災害のようなものが起きたらしいことだけが描写されています。
そして、その「時」に立ち合い、大きな悲しみとやるせなさの渦中にいる人々の姿も。
だからこそ、きっといつの世でもどこであっても、通じるものがあるのかもしれません。
悲しいことに、そのような"災害"はいつにもどこにでも起こりえる事だからです。
それが自然に由来するものであっても、そうでなくても。
心から笑う、その日
悲しいのに笑うのは
さて、冒頭では、凄惨な光景を前に悲しみを抱えつつも笑いが漏れるという歌詞がありました。
感情と表情のアンバランスさは、人々の混乱した内面をより際立たせているような表現です。
"笑うこと"についての言葉は、その後も重要なワードとして歌詞の中に織り込まれています。
しかしそれ以後の"笑み"は、冒頭のそれとは少し違ったもののようです。
悲しくない笑い
飼い主をなくした柴犬が 同胞とじゃれながら道を行く
解き放たれ すべてを笑う 乾く冬の夕
出典: 満月の夕/作詞:中川敬,山口洋 作曲:中川敬,山口洋
無邪気にじゃれあいつつも先へ進む柴犬たち。
飼い主が居なくなったことを知っているのかどうなのか、それを悲しんでいるかどうかもわかりません。
けれどそんな無垢な姿に、見ている方はふと笑みが漏れます。
この「解き放たれ」た時の"笑い"。
それはきっと冒頭の、感情とは裏腹な笑みとは少し違ったものでしょう。