懐かしく、響く歌

歌は風のように

ヤサホーヤ 唄がきこえる 眠らずに朝まで踊る

出典: 満月の夕/作詞:中川敬,山口洋 作曲:中川敬,山口洋

音楽フェスやテレビなどで、このフレーズを耳にしたことがある方も多いのではないでしょうか。

三線の音と沖縄民謡のようなどこか懐かしい調べに、いつの間にか自分でも口ずさみたくなる曲です。

二つの"唄"を一つに

作詞作曲は「中川敬」と「山口洋」。

並列で書かれているのは、この二人が曲を共作したことによります。

とはいえ、実は共に作ったのは曲の部分。

歌詞は中川敬さんが先に書き、後から山口洋さんが同じメロディに新たな歌詞をつけました。

そのためこの曲には二つのバージョンがあるのです。

その二つをつなぎ合わせて一つの曲として歌ったのが、BRAHMANです。

アルバム「梵唄 -bonbai-」に収録されたこの曲には、作詞作曲者の二人も参加しています。

歌い継がれていく理由

同じ曲に二つの歌詞が存在する意味、それをつなぎ合わせた意図。

そして発表から月日がたった今でも、この曲が様々な場で歌われている理由。

それらを考えながら、歌詞を読み解いていきましょう。

それぞれの目、それぞれの風景

BRAHMAN【満月の夕】歌詞の意味を徹底解釈!ヤサホーヤは何を示す?悲しくても笑う切なさに迫る!の画像

その時、目にした光景

風が吹く 港の方から 焼けあとを包むようにおどす風

出典: 満月の夕/作詞:中川敬,山口洋 作曲:中川敬,山口洋

最初に描写される風景は「焼けあと」。

実際にそのような光景を目の当たりにしたことがあってもなくても、背筋がぞくりとするような始まり方です。

そして、風は空気を送り込むことで炎の勢いを強めます。

またその威力から、燃焼の範囲をぐんぐんと広げてしまいます。

だからこそ、少しでも風が吹いてくるとおどされているように感じる

まだ生々しい火事の記憶が蘇り、こんなものでは済まないぞと言われているような気になる。

自然の脅威になす術もなく立ちすくんでいるような、そんな風景が脳裏に浮かびます。

悲しいのに、こぼれるのは

悲しくて すべてを笑う 乾く冬の夕

出典: 満月の夕/作詞:中川敬,山口洋 作曲:中川敬,山口洋

そんな凄惨な場所に立っていて悲しいはずなのに、なぜか笑いが漏れている。

一見、相反するような感情の発露ですが、やるせなさがひしひしと伝わってきます。

形のない「叫び」

声のない叫びは煙となり 風に吹かれ空へと舞い上がる

出典: 満月の夕/作詞:中川敬,山口洋 作曲:中川敬,山口洋