一緒に生きていけない『僕』を振り返らないで、どうか立ち止まらないでと願っている箇所です。

テロの起きた9月は夏です。

『僕』が『君』と一緒に生きていくことはもうできません。

その事実に対する恨みつらみは抱えるなというほうが難しいでしょう。

そんな重すぎる気持ちを抱えた『僕』を一緒に連れて行こうなんて考えれば、きっと『君』の気持ちも薄暗い場所へと沈んでしまいます。

『お先に』というのは単に順番というわけではなく「未来」のことを指しているのではないでしょうか。

『僕』の生きた道のりさえも越えた未来を生きて、大切なひとにその命をまっとうしてほしいという願いのようにも思えます。

残念ながら、僕が君と一緒に歩いて行けるのはここまでかもしれない。

でも、君には歩みを止めず、これから先の未来へと進んで行って欲しい。

その時僕が隣にいないとしても、いつか必ず笑える日が、幸せになれる日がくるはずだから。

そんな僕から君への、痛切な思いが伝わってくるような歌詞となっています。

君の幸せが僕の幸せだから

僕の我慢がいつか実を結び
果てない波がちゃんと止まりますように
君と好きな人が百年続きますように

出典: http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=B05861

ただただ大切なひとである『君』の幸福を願う『僕』。

恨みや怒りを飲み込んで、ただ未来の希望を願うことにしたその『我慢』によって、怒りや恨みの連鎖が止まりますようにという願いです。

それによって『君』の幸福が、『僕』のように壊されてしまうことのないようにと、ひたすらに祈っています。

人を愛する大切に思う、ということはどのようなことでしょうか。

相手を幸せにしてあげたい、という思いを抱える事も、その答えの1つでしょう。

よくいわれる答えの1つとしては、自分のことを一切顧みず相手の幸せを願う、というものもありますね。

例えいつか、自分と君が離れ離れになったとしても。

自分と共に歩むことが君の幸せにならないのなら、僕は潔く身を引こう

只々遠くから、君が本当に幸せになる日を祈っていよう。

滅私とも呼べる姿勢や感情を、誰かに対して抱えるということ。

それが何よりも純粋な気持ちで、相手の事を愛し大切に思っている、ということなのかもしれません。

『君』・『僕』・『母』

『僕』は亡くなった父親?

ひらり蝶々を
追いかけて白い帆を揚げて
母の日になれば
ミズキの葉、贈って下さい
待たなくてもいいよ
知らなくてもいいよ

出典: http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=B05861

平和の象徴のような光景が描かれています。

しかしそれだけではなく、『ひらり蝶々を追いかけて』からは親の手を離れてあちらこちらへと自由に駆け回る子どもの様子がイメージできます。

また『白い帆を揚げて』からは風を受けてどんどんと前進する帆船の様子が浮かびませんか?

自分の思うまま自由に、前へ前へと進んでいく、そんな風に健やかに育つ『君』への願いは「母の日にミズキの葉を贈ること」。

さて、花水木の花言葉は「返礼」「私の想いを受けてほしい」「永続性」でした。

『君』のそばで支えてくれる人に感謝の意を贈ってあげてほしいという願いです。

もしかしたらそれは自分ではできない『僕』の分もあるのかもしれません。

父である『僕』が、我が子である『君』に対し、自分の分も含めて『母』を慈しみ、子どものそばにいてくれることに対して礼を述べてほしいという想いが表れた箇所なのではないでしょうか。

そしてできるならこの先も、『僕』の分も『君』を支えてくれるようにという『母』への願いも込められているのかもしれません。

大切なひとを後ろから見送ることしか出来ない『僕』のことを振り返らないで、立ち止まらないで。

『僕』の感じた苦しみも痛みも『君』には知る必要のないことで、ただ綺麗な思い出を胸に自分の幸福を追いかけていくことを、きっと『僕』は望んでいるのでしょう。

花・実・葉

この歌の中には『君』、『僕』、『母』という登場人物がいます。

そして花水木の花、実、葉のいずれかが対応するように描かれている箇所がそれぞれにあります。

それぞれの登場人物が、ハナミズキという植物の部位に準えて歌われている。

この歌には、実はそんな隠れたメッセージも込められているように思えます。

植物の各部位が、登場人物のどのような側面を投影して描かれているのか。

曲中の該当箇所の歌詞を抜粋しながら、ここからは補足して解説しておきましょう。

薄紅色の可愛い君のね
果てない夢がちゃんと終わりますように
君と好きな人が百年続きますように

出典: http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=B05861

『君』に対応しているのは花ですね。

歌詞の中では『つぼみ』や『薄紅色』と表現されています。

花――つぼみはこれから咲いて美しく色づくものです。

『君』が咲き誇り美しく輝くのは、これから先の未来のことだということ、幸せな未来が待ち受けているということを示しています。

また、幸せな未来を『君』が謳歌できることを祈っているのではないでしょうか。

君の未来がこれからずっと先も、華やかな花々のような明るく幸せな色に。

鮮やかに彩られますように、と。

僕の我慢がいつか実を結び
果てない波がちゃんと止まりますように
君と好きな人が百年続きますように

出典: http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=B05861

『僕』が対応しているのは、実です。

実は食べられたりすることでなくなってしまいますが、種を内包し次の世代へと繋げるものです。

歌詞の中でも『僕』は恨みや怒りの連鎖が止まるように、平和な世の中が訪れるようにと、次の世代である『君』が生きる未来への希望や願いを残しています。

自分を犠牲にしてでも、大事な相手への未来を繋いでいく。

そのような役割も、この比喩には込められているのではないでしょうか。

母の日になれば
ミズキの葉、贈って下さい

出典: http://www.utamap.com/showkasi.php?surl=B05861

歌詞の中では『母の日』となっているのみですが、間違いなくその存在は示唆されています。

その『母』に対応しているのは、葉。

葉は花を咲かせ、実を生らせるために光合成や呼吸を行っています。

子どもを育み支えてくれている存在として感謝を示す表現となっていますね。

『僕』にとって、『君』だけでなく『母』もまた、まぎれもなく大切なひとです。

『君』へ促している感謝の中には、父であり夫でもある『僕』をこれまで支えてきてくれたことに対して向けたものも含まれているのかもしれません。

最後に