現在も語り継がれる伝説の歌手、美空ひばり
天才的な歌唱力を持つ少女として、若干9歳で芸能活動をスタートした美空ひばり。
52歳という若さでこの世を去った今も、数多くの遺作は彼女の存在を忘れさせません。
そんな美空ひばりは戦後間もない1946年デビューした天才歌手で、今で言う子役スターとして誕生します。
彼女のマネージャーは母親で、ステージママとしても有名でした。
当時芸能活動と言えば映画出演が主流で、デビュー早々主演した映画で披露した『悲しき口笛』が大ヒット。
数々の映画作品に出演し、国民のアイドル的な存在になっていきます。
歌手として順風満帆な人生と思われていた1980年代、マネージャーであった母親が他界。
弟2人も立て続けにこの世を去り、美空ひばりの精神面を支えてきた身内はどんどんいなくなる状況に陥ります。
それと比例する様に、さまざまな病気を発症。
後年には、入退院を繰り返すほど体力も低下していました。
一時は劇的な復活を遂げ「不死鳥」とまで呼ばれていましたが、多くの人に惜しまれつつ1989年にこの世を去っています。
他アーティストの楽曲も自分のものにしてしまう
美空ひばりの魅力はたくさんありますが、その中でも驚くのが彼女の高い歌唱力と歌に対する真摯な姿勢です。
自身の曲はもちろんのこと、他のアーティストのナンバーも意味をしっかり理解し「自分の歌」にしてしまうほどの高い能力を持っています。
最も分かりやすいのがジャズナンバーで、美空ひばりがもともとファンであったナット・キング・コールの楽曲をカバーアルバムとして生前にリリース。
曲を聴くと美空ひばりは、難しい曲もしっかり「自分の歌」として歌い上げているのが分かります。
このように歌唱力だけでなく、その他の高い能力を兼ね備えた美空ひばりが伝説的と呼ばれるのも納得できますね。
美空ひばりの代表曲『愛燦燦』
歌手として、最高の能力を兼ね備えている美空ひばり。
特に後年リリースした楽曲は、彼女の代表曲として呼び声も高いです。
そんな代表曲の一つでもある『愛燦燦』は、1986年5月にシングルとしてリリースしたナンバー。
その後1991年7月に、再びリリースされています。
『川の流れのように』と2分するほど人気が高いナンバー
『愛燦燦』は美空ひばりの後期のナンバーとしても有名ですが、リリース当時はそこまで人気が出なかったのだとか。
しかし『川の流れのように』のヒットがあったことや、CMやラジオでも流れることが多くなり徐々に知名度を上げていきました。
その後『愛燦燦』は『川の流れのように』とも並び称されるほどの代表曲と評され、2曲は美空ひばりの代名詞ナンバーでもあるのです。
制作は小椋佳
『愛燦燦』の作詞と作曲を手掛けたのは、これまで美空ひばりに多くの楽曲を提供してきた小椋佳。
自身でも楽曲をリリースするシンガーソングライターで、『さらば青春』や『愛しき日々』などセルフカバーも多く行っています。
小椋佳は『愛燦燦』もセルフカバーしており、2007年の『NHK第58回紅白歌合戦』では美空ひばり生誕70周年を記念して映像上の美空ひばりと共演を果たしています。
淡々としたサウンドが耳に残る
『愛燦燦』はゆったりとしたバラードナンバーでありながら、心地良さを感じるサウンドが特徴。
それも極力バックサウンドを抑え、美空ひばりの歌声を前面に出すことで楽曲の世界観に浸りやすくしています。
メロディーラインも淡々としており、耳に残る分歌いやすいのもポイントです。