最初に歌ったのはサザンのキーボード担当

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シングル曲に決して引けを取らない名曲

「私はピアノ」は高田みづえさんの12枚目シングルです。1980年7月にリリースされました。実はカバー曲です。

「私はピアノ」は、1980年に発表されたサザンオールスターズの楽曲。1980年3月21日リリースのアルバム『タイニイ・バブルス』の4曲目に収録された。

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/私はピアノ

サザンの3枚目のアルバム「タイニイ・バブルス」は「C調言葉にご用心」や「涙のアベニュー」など初期の名曲が満載です。

CDでの再発売もあったので愛聴盤として保存している方も多いのではないでしょうか。

名曲の中に埋もれることなく、存在感を示した「私はピアノ」。

今でも人気曲として聴き継がれる理由は、コレだったことに間違いありません。

「私はピアノ」はキーボーディストの原由子が初めてリードボーカルを担当した楽曲。サザンがかねてから得意としている歌謡曲を意識した作品である。

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/私はピアノ

それまではキーボードとコーラス担当だった原坊こと原由子さんの歌声で「私はピアノ」が誕生しました。

声に特徴がありますよね。その特徴を知り尽くしての歌詞とメロディーです。

恋が上手くいかない時もピアノに向かえば大丈夫、悲しいはずなのに泣いていない女子が歌の中に居ます。

後に妻となる原由子とはエリック・クラプトンなどの洋楽の好みで気が付けば意気投合、サザンのメンバーやサークル仲間の間でも公認の仲であったという。1982年 2月26日、入籍。28日には東京プリンスホテルで結婚披露宴を行う。会場にはファン3000人を招待し、タモリ、ラッツ&スターなどの芸能人も出席した。

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/桑田佳祐

芸能ニュースのような情報を提供してしまいました。

原由子さんが「私はピアノ」を歌った時は、まだ2人はお付き合いをしている時期だったのですね。

もしかして2人の間に何かあったのか、それとも過去の恋バナがヒントになったのか…

楽曲はそんな巷のうわさ話とは一線を画した仕上がりです。

一度曲が始まれば、ひたすら鍵盤を叩く原坊に捧げた曲にも思えてしまいます。

転機をくれる失恋ソング

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歌えば良縁に恵まれる?

サザンオールスターズの話が長くなりましたが、ここからは高田みづえさんの代表曲「私はピアノ」のお話です。

高田みづえさんが「私はピアノ」をリリースした5年後、彼女に人生最大の転機が訪れます。

1985年2月に当時大関で大相撲人気力士だった、若嶋津六夫との婚約発表と同時に、歌手活動を含めた芸能界引退を表明する。

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/高田みづえ

1977年のデビューから約8年間の短い歌手活動でしたが、その間に紅白歌合戦には7回出場しています。

1979年は落選した紅白歌合戦に「私はピアノ」のブレイクでカムバック

1980年の紅白歌合戦の司会は黒柳徹子さん。太田裕美さんと八神純子さんの連弾もある豪華版。

動画も残っているようなので、もしよかったら検索してみて下さい。

そして1985年人気実力共にピークの時に、芸能界の一線から身を引きました。

おとなしいイメージですが、恋をするとパワーを発揮するタイプなんですね。

もしかして失恋ソング「私はピアノ」は、次に行くための弾みをつける踏切板になったのでしょうか。

華やかな芸能界から、伝統を重んじる相撲界のサポート役に転身する潔さは爽快でした。

「私はピアノ」を歌った原由子さんも高田みづえさんも、30年以上連れそうお似合いのご夫婦です。

ウエディングソングには使えませんが、「私はピアノ」は縁起の良い曲の隠し玉かもしれません。

でも実際の歌詞には手厳しい言葉が並びます。リアルな辛い恋の歌詞にハマりたいと思います。

ジャンルは歌謡曲の中の怨歌(えんか)?

恨やむってその字?恨めしい…

人も恨やむよな仲が いつも自慢のふたりだった
あなたとならどこまでも ゆけるつもりでいたのに

出典: 私はピアノ/作詞:桑田佳祐 作曲:桑田佳祐