メンバーの粋な計らいからできた曲

街の報せ(cero)の歌詞を解釈!友人の子どもが生まれる前夜に書いた祝福ソング!溢れ出る愛に感動!の画像

いつまでも聴いていたくなるようなメロディー。

身体が自然と動き出してしまうようなリズム感。

そんな心地良さと、なんだか泣きたくなるような懐かしさのある曲です。

作詞・作曲を手がけているのは、主にキーボード・コーラス担当の荒内佑さん。

実はボーカル・高城晶平さんのお子さんに向けて制作された曲なんだそうです。

一体どんな想いが込められているのか、歌詞の内容から紐解いていきます。

何でもない日常が映し出されている“だけ”のMV

特別な理由はないけど“なんか”懐かしい

何か強いメッセージ性やストーリーがあるわけではありません。

ただひたすら街の風景が映し出されていくだけの映像。

でも、映し出されているどの瞬間も、どこかで見たことのある風景です。

夜のコンビニ、駐車場、ゲームセンター、交通警備のおじさんたち。

同じ格好をした自転車の行列、どこかの物流センター、駅前の混雑。

どれも普通の生活で見る、なんてことはない日常です。

それなのに、この「街の報せ」にはピタリと合う懐かしい景色。

Ceroの“押し付けてこない”魅力が、このMVにもよくあらわれています。

自分の何歳頃を思い出した?

特に大きな特徴があるわけでもない、どこにでもある街。

しかし、どこか自分に重なるところがあるような気がしませんか?

部活終わりのあの道、バイトへ向かういつもの通り、みんなで集まるコンビニ。

ふるさとにいた頃や、変わらない日常を続けている今。

あらゆる人たちの“あの頃”が思い出されそうな映像です。

街の生ぬるいあたたかさが心地良い

自分の青々としすぎていない頃

晴れた夜 嵐が湊に来るように
みんな寝静まったならドアを開けて出て行くよ
どこか 今宵

出典: 街の報せ/作詞:荒内佑 作曲:荒内佑

1日を終わらせてしまうのが、なんとなくもったいない気がする夜。

誰かを呼び出すほどでもないけど、家でじっとしているのはつまらなすぎる。

目的はないけれど、どこかふらっと出かけたくなる時があるのです。

が湊に来るように」というところにも、ざわつく気持ちがあらわれています。

少しだけ心が浮き立つような、外に出ないと気が済まないような。

どことなく、むずがゆい感情があらわれています。

青臭い青春時代というよりは、大人になる一歩手前といったところでしょうか。

時間にも気持ちにも余裕があるけど、何か少し迷いがある。

そんなモラトリアムな時期を描いているようにも見えます。

でもいまいち何をしていたか思い出せない

君らも年を取り いつかはいなくなるけど
きっと誰にも知られない 愛おしい一人の夜があるよ
例えばさ
ファミレスで聴くロイ・ハーグローヴ
国道沿いで買う缶コーヒー
(たばこは程々に)
ケータイの充電ならとっくに切れたけど
坂道を登り振り返れば
(悪くはないんだよ)

出典: 街の報せ/作詞:荒内佑 作曲:荒内佑

家族や友人、恋人など、誰かと過ごす時間は有意義なもの。

でも“一人の時間”が何かをつくりだすことだってあるのです。

他人に知らせる必要もない、自分しか知らない自分。

他人に言ったところで理解されない趣味や考え方。

決して孤独なのではなく、“自分だけでいい”時間。

何にもしばられず、目的もなく、とりあえずフラフラとしていたい。

特に生産性の無い時間が、自分を癒してくれる時もあります。

目的もなくただ漂うように

後半は、夜の散歩にも少し疲れてきたところでしょうか。

休憩場所は、おしゃれなカフェなんかじゃなくて“ファミレス”。

お気に入りの曲をききながら、考えを巡らすわけでもなくぼんやり過ごす。

また歩き出して、なんとなく自動販売機を見つけて缶コーヒーを買う。

別に喉が渇いたわけでもなく、どことなく手持無沙汰になってきたのでしょう。

一服して、また歩いて。一服して、また歩いて。

“ケータイの充電も切れた”ということは、今は誰ともつながらない状態。

それに気がつくと寂しいような気もするけど、意外と生きていけるかもしれない。

坂の上から見下ろすと、いつもと変わらない街がそこにいます。

良くはないのかもしれないけど、全然悪いわけでもない。

大きくは変わらないその街に、どこか安心させられるのです。