25才以上ならceroを知っておいて損はない!
ありきたりのポップス以外の引き出しを広げてくれるバンド
もしあなたが周りから「クールな音楽を知っている!」と思われたいなら、ぜひ今回ご紹介する「cero」をチェックして下さい。
音楽と真剣に向き合っている人でなければ出せない音で作っているので、一般人には歌いにくいしコピーもしにくい。それゆえに独特のグルーブ感もあっておしゃれです。
音楽って、その人のセンスがもろに出ますよね。
例えば、異性が自分にはちょっと敷居が高そうなジャズやクラブジャズを部屋や車でさり気なく流していると、その人の魅力が120%アップしませんか?
逆に歌もろくに歌えないような歌手のJ-POPばかり聴いていたら、なんかがっかりしてしまいます。もちろん何を聴くのも全く人の自由ですが、人の評価は結構シビアです。
そこで25才を過ぎたら、ぜひチャレンジして欲しいのがジャズ的要素を取り入れた楽曲。25才って大人の入り口じゃないですか。
一目置かれる大人になりたいなら、ジャズを知っておいて損はありません。
しかし、いきなり本物のジャズを聴くのは気が引けてしまうかもしれませんね。でもceroの曲ならトライしやすいです!
ceroってどういうバンド?
メンバーは3人!
ceroは3人のメンバーで構成されています。
ヴォーカル、ギター、フルート担当の髙城昌平(たかぎしょうへい)さん。
キーボード、サンプラー、コーラス担当の荒内祐(あらうちゆう)さん。
ギター、コーラス担当の橋本翼(はしもとつばさ)さんです。
2004年に結成され、3人が全員作曲、アレンジ、プロデュースをする仕事っぷり。
いや、楽曲を聴けば納得です。彼らの音楽は、あえて「楽譜を崩す」要素も入っているんですね。これはしっかりと音楽の基礎がないとできない技です。
当然3人だけでは音の厚みが作れませんので、適宜サポートメンバーを入れて演奏しています。
では、早速「魚の骨 鳥の羽根」のMVを見てみましょう!
サーモグラフィーを使ったMVに注目!
アレンジも我が道を行くcero
イントロとヴォーカルの入りからして、一筋縄ではいかない感じですね。楽譜を見ていないので何とも言えないのですが、この楽曲は2拍子で構成されていると思います。
ポップスなんかは、大抵4拍子なんですよ。でもこの楽曲は、腕を大きく「イチ、ニ」と降るようなイメージでカウントすると曲のノリを掴む事ができます。
それと、曲の随所随所に不協和音を入れてくるんですよね。不協和音とは、読んで字のごとく「聴いてもしっくりこない、違和感のある和音構成」の事です。
ジャズの場合、9thや11thといった「テンションコード」がたくさん入りますし、こういった不協和音もたまに見られます。
けれど日本のバンドでこういう音を入れてくるのは、かなりのチャレンジ!バランスがかなり難しいんですよ。
このチャレンジをする際いい仕事をしているのが、キーボード担当の荒内さんが使っているKORGですね。
ミュージシャンなら誰でも知っているシンセサイザーです。これがないとこの楽曲が完成しません。
なぜかMVにサーモグラフィー
MVをご覧になられた方はもうお分かりかと思います。このMV、全体的になぜかサーモグラフィー(体温が高い所は赤、低い所は青に表示される機械)が多用されているんです。
なぜこんな事に!?と思い歌詞を見てみると、なるほどその理由が分かります。
今回の「魚の骨 鳥の羽根」では、私達の「なか」に「うごめく」何かを表現しているんですよ。
つまり「体温」も見た目からでは分かりませんから、その辺りをリンクさせているのではないかと思われます。
では、次から歌詞を見てみましょう♫
「魚の骨 鳥の羽根」の歌詞
前半部
通常楽曲には1番や2番があるのですが、この不思議な楽曲にはどこからどこまでが1番という明確な区切りがありません。
ですので、切りのいい所で前半・後半に分けて紹介します。
バスタブに落ちる水と
川底 無数の石砕く 激流
裸足の指が触覚する何か
天を仰ぐ 喉の奥を
鼻血が伝う
手の平を真っ赤にして 飲み干したジュース
Floating on water たゆたう フレグランス
見つめあう 水銀の眼
出典: 魚の骨鳥の羽根/作詞:髙城昌平 作曲:荒内佑/髙城昌平
ジャズを歌う時は、スケール(調)のルールの中でヴォーカルが自由にメロディーラインを作って歌ったりするんですが、ceroの楽曲はそういう雰囲気が多いですね。
今回の曲も、音符1つ1つに言葉を当てはめて歌おうとすると、まず上手く歌えません。
あくまで「流れるように」。そして1拍目から2拍目に移る間の「フロー」に沿って、それに歌詞を乗せるイメージで口ずさんでみましょう。
一部英語が使われていますね。「Floating on water」は、何かが水の上に浮いている様子を表しています。
主語が明記されていないので、ここはリスナーの想像に任されています。