織江や信介の出身地・田川市について
さて、田川市はかつて、四大工業地帯に数えられる北九州工業地帯のうちの一都市として栄えました。
現在でも盆踊りなどに使用され、世代を超えて知られている炭坑節は田川市発祥だそうです。
遠賀川 土手の向こうにボタ山の
三つ並んで見えとらす
出典: 織江の唄/作詞:五木寛之 作曲:山崎ハコ
上記歌詞中の「ボタ山」とは、石炭の発掘で発生する捨て石が集まり山になっている状態のことです。
ボタ山が三つ並んでいるという状況から、炭鉱の街の様子を思い浮かべられます。
小倉の夜の蝶とは?
家が貧しかったことから、16歳ごろ織江は「小倉の夜の蝶」になる決意をします。
「小倉の夜の蝶」とは、福岡県の大都市小倉の夜の街で働くこと、つまり小倉で水商売をすることです。
辛く苦しい心境
険しい道のりながらも気丈に生きる織江
「初めて」は…
下記の歌詞に、水商売に従事することをネガティブに捉える織江の様子が表われています。
明日は小倉の夜の蝶
そやけん
抱いてくれんね 信介しゃん
どうせ汚れて しまうけん
織江も大人になりました
出典: 織江の唄/作詞:五木寛之 作曲:山崎ハコ
織江は夜の仕事、それも身体を売る職種に就こうとしているようです。
「初めて」は心から恋した相手に捧げたい。
愛した相手にこそ捧げたい。
もし身体を売ってしまえば、そんなささやかでかわいらしい願いは叶いません。
また最近は昔に比べて意識が薄くなってきていますが、一昔前は今よりも風俗業に対する偏見がありました。
「風俗を生業にしているのは恥ずかしい、自分は汚れている」と、従事する本人でさえ思っていたのです。
とはいえ、この当時を生きた人間ではないので推定でしか語ることができないのですが。
4行目の表現から、織江もこうした価値観を持っていることが見て取れます。
一緒になることのできない想い人
香春岳 バスの窓から中学の
屋根も涙でぼやけとる
信ちゃん 信介しゃん
うちはあんたが好きやった
ばってんお金にゃ 勝てんもん
出典: 織江の唄/作詞:五木寛之 作曲:山崎ハコ
上記の歌詞を見ると、中学の屋根を見ながら織江が涙を流している様子が読み取れます。
この時の心情を表すのならば「とうとうこの日がきたのか」といったところでしょうか。
涙を流すほど辛いのに水商売に従事せざるを得ない、信介と離れたくない、という悲しみが伝わります。
信介という想い人がいながら、一人で小倉に行く織江の辛い思い…察して余るものがあります。