「恋におちたら」の不思議さ
1995年11月22日発表、サニーデイ・サービスの通算3作目のシングル「恋におちたら」。
その後に名作アルバム「東京」にも収録されたサニーデイ・サービスの名曲です。
メジャー・レーベルでありながら質にこだわり続けたMIDIからスゴいバンドが出てきた。
比較的にコアな音楽ファンがサニーデイ・サービスに大注目していた時期に決定打になった名作です。
デビュー当初のはっぴぃえんどフォロワーのイメージも大分後退してゆきます。
サニーデイ・サービスのオリジナリティがしっかりと確立された印象を打ち立てたのです。
1995年は日本社会にとっては試練の年でした。
阪神淡路大震災とオウム地下鉄サリン事件などが起きた年です。
曽我部恵一というアーティストは社会的な問題にも敏感な素顔を持ちます。
しかし辛い冬を経験した形跡がこの曲には見当たりません。
暗い世相の中で何を新しい価値として表明するかを真剣に考えた末に幸せを歌ったのではないでしょうか。
曽我部恵一、田中貴、丸山晴茂。
3人の若者たちが新しい時代を切り拓いてゆく予感に興奮した記憶を懐かしく思い出す人も多いでしょう。
デビューから一時解散までの期間はいま振り返ると驚くほどに短い期間です。
しかしバンドの勢いはデビューから解散まで衰えることを知りませんでした。
そんな彼らの代表曲の歌詞の魅力に迫ってみましょう。
それでは実際の歌詞をご覧ください。
不思議な青年
あくまでも予感だけが描かれる
晴れた日の朝にはきみを誘って何処かへ
行きたくなるような気分になったりする
出典: 恋におちたら/作詞:曽我部恵一 作曲:曽我部恵一
歌い出しの歌詞になります。
登場人物は語り手のぼくと恋しているきみです。
しかし歌詞は全編がぼくの独白になっています。
「恋におちた」ではなく「恋におちたら」というタイトルに注意してください。
ここで語られるきみは本当に実在するのかも分からないくらいに具体的な姿になりません。
しかしぼくの心のうちできみの存在がとてつもなく大きくなっていることが存分に伝わるのです。
晴れの日の午前中の空気に気持ちよくなっているぼく。
こういう日は大切にしたいと願ったのでしょう。
充実した一日であることを祈るはずです。
しかしその後に語られるプランはぼくの願いに過ぎません。
実際にきみの携帯電話を鳴らして約束をとりつけるようなことは一切しないのです。
ラブソングとしてはちょっと不思議な印象を抱くでしょう。
きみはぼくの思いの中で膨らみ続けるのですが、その姿を現してはくれません。
裏テーマは孤独な若者たち
だれかと話したくてぼくは外へ出るんだ
住みたくなるような街へ出てみるんだ
出典: 恋におちたら/作詞:曽我部恵一 作曲:曽我部恵一
ぼくは気持ちがいい一日を大切にしたくて街へでかけます。
自分が住んでいる街とは違う場所まで足を伸ばしました。
相変わらずここでもぼくの独白によって支えられています。
誰かと話したいと願いますが、実際にその街の住民に声をかけたりはしないのです。
とても暖かい陽射しに照らされた日の午前中を切り取っています。
そのために歌詞のモチーフも心温まるものばかりです。
自分も住んでみたくなる魅力的な街を歩いているのですからぼくの気分のよさが伝わってきます。
しかし実際に誰とも交歓しないぼくは孤独ではないかという見方もできるのです。
きみへの思いで胸のうちがいっぱいなのですからこの孤独な青年は不幸ではありません。
しかしまだ結ばれないでいるぼくときみはそれぞれの孤独を抱えて生きています。
全編をぼくの独白で埋めたこの曲「恋におちたら」は予感のようなものばかりを強調するのです。
実際の行動に踏み出せないぼくは本当にきみと結ばれるのでしょうか。
「恋におちたら」の裏テーマはおそらくそれぞれの孤独を抱えてお互いの距離を計る若者の実像です。
1995年の詩人たち
きみのために用意はしているけれど
どこかの家に咲いたレモン色の花ひとつ
手みやげにしてそっときみに見せたいんだ
出典: 恋におちたら/作詞:曽我部恵一 作曲:曽我部恵一
ぼくは知らない家庭の軒先に咲くレモン色の花に惹かれます。
ぼくはこの花の名前も、そのオーナーの名前にも執着しません。
この孤独な青年には固有の無関心というものが見受けられます。
きみ以外の人のことには関心を寄せない性格があるのです。
ここできみへの手みやげとして花泥棒をしたいと思います。
花泥棒は罪に問われないという社会の共通認識があるからです。
ならばその花を摘んでみてもいいでしょう。
しかしぼくはきみと本当に会う約束を交わしているのでしょうか。
ぼくの空想・妄想は膨らみますが、きみの姿はまだ歌詞に現れません。
1995年のナイーブな心を抱えたリスナーは社会と没交渉なこうした登場人物を愛しました。
曽我部恵一という詩人の前に一世を風靡したのは小沢健二でした。
小沢健二の歌詞の中にはその風貌からは信じられないほどの力強さがあったものです。
しかし小沢健二よりも野性味さえある風貌の曽我部恵一はよりナイーブな青年像を描きました。
心あるリスナーはどちらも応援していたものです。
違った個性ですから棲み分けのようなものも可能でした。
曽我部恵一というアーティストの新しさというものがしっかり受け止められたのです。
ナイーブな青年の心にこだわる
長い髪花飾りどんな風に映るだろうと
考える道すがら 愛しさ広がるんだ
出典: 恋におちたら/作詞:曽我部恵一 作曲:曽我部恵一