きみの容姿に関して初めての言及がされます。
きみは長い髪の少女であることが打ち明けられました。
摘んだレモン色の花。
きみの長い髪にさして花飾りにしようと思うぼく。
ぼくの空想はレモン色をまとって広がってゆきます。
しかしこの空想を実行に移すのかどうかがとても怪しいです。
きみに関しては長い髪という手がかりしかありません。
本当にきみは実在するのかという思いさえ抱かせるでしょう。
そうであっても物思いに耽るぼくの心は幸せな気持ちで満たされています。
ぼくは恋の予感だけで満足できる人なのかもしれません。
その反面でこの歌詞が支持される背景にはもっともなものがあります。
恋をしているとき、実際に付き合う前が一番楽しいと思う人が一定いるのです。
本当の恋愛では破綻する運命が待ち受けているという恐怖心もあるでしょう。
相手のことをよく知らないうちの恋愛こそが楽しいと思う気持ちも理解できます。
とはいえこうしたナイーブさでは実際の恋愛に耐えられないだろうと心配させられるでしょう。
「恋におちたら」はそのタイトルとおりにif構文のような条件付けがあるのです。
もし「恋におちたら」こんな感じの午前中にしたいという思いで埋められています。
現実の曽我部恵一という人はこの後に子煩悩ないいパパになりました。
ぼくがそのまま曽我部恵一という人物を投影したものとは思えません。
しかしある時期の曽我部恵一はこうしたナイーブな若者たちを盛んに描いてゆきます。
サニーデイ・サービスのアルバム「東京」はその最初の終着点かもしれません。
次の「愛と笑いの夜」というアルバムではもっと野性味ある曽我部恵一本人の姿に近付いてゆくのです。
どこまでもぼくの空想
寂寥感やセンチメンタリズム
昼にはきっときみと恋におちるはず
夜になるとふたりは別れるんだから
出典: 恋におちたら/作詞:曽我部恵一 作曲:曽我部恵一
曽我部恵一というアーティストの詩的な側面が一気にスパークする箇所です。
まだぼくはきみと恋におちてはいないという告白をこのサビに於いて初めて告白しました。
いまはまだ午前中であります。
いまから何時間か先にきみと恋におちる予感を感じているのです。
そうなると長い髪のきみというのはぼくの理想の少女像に過ぎないという結論に導かれるでしょう。
さらに「恋におちたら」夜にはすぐふたりが別れてしまうという予感さえ打ち明けます。
どこまでも恋に恋したぼくの空想だったというオチでした。
それでも晴れた日の午前中には何かいいことが起こる浮足立った気分になるというぼくの気持ち。
この気持ちは誰しもがよく理解できるはずです。
とても短い時間だけ恋におちるという設定の意味は発表当時から謎のままでした。
きみという存在がまだぼくの中で実像と結びついてはいません。
そんなぼくにとってきみは夜になったら手放してもいいと思えるくらいの存在でしかないのかもしれない。
この解釈はもちろん寂しく哀しいものでしょう。
そしてまさに曽我部恵一はある種の寂寥感や哀しみというものへ訴えかけたのです。
実態にたどり着けない恋というものを描いてみたかったのでしょう。
センチメンタリズムへの訴えかけが当時の多くのリスナーに受け入れられました。
晴れた日だけが実体なのか
恋する乙女のようなこんな晴れた日は
きみをむかえに きみをむかえに行くよ
出典: 恋におちたら/作詞:曽我部恵一 作曲:曽我部恵一
恋する乙女というのはきみを形容したものではありません。
まだきみとは出会ってもいないようなのですから仕方がないことです。
曽我部恵一は恋する乙女という言葉で幸せとめぐり逢えそうな日そのものを飾り立てます。
「恋におちたら」という楽曲の歌詞の中で唯一実際にあっただろうと思えるもの。
それは素敵な恋と出会えそうな晴れた日というものだけなのです。
天気が良好であることはそれだけでいいことになるでしょう。
そこに幸せの予兆を感じることは無理のないことです。
現実では誰にも恋をしていないぼくですが、愛する人を見つけに行こうと決意します。
決意というものはもちろんぼくの心の中でだけ起きた事象です。
まだ見たこともない愛すべき人に会いに行こう。
なぜなら今日は晴れて気候もよく何かいいことが起こりそうだから。
恋に恋してしまうのは女性だけではありません。
多感な時期の男子にもこうした傾向は見られるものです。
ぼくにある前向きな思いはきちんと評価できるものでしょう。
いい人とめぐり逢って実際にきみと結ばれるような奇跡が起きて欲しいと願わされます。
愛と孤独の相関
青年の心に突き刺さったものは
はねを広げた空を切りとるような雲ひとつ
ゆっくりと流れて心を切り刻む
出典: 恋におちたら/作詞:曽我部恵一 作曲:曽我部恵一
ぼくをめぐる寂寥感の演出が確信犯的なものだと理解できる場面です。
晴れた日の空に浮かぶ何てことのない雲がぼくの心に突き刺さると歌います。
その雲がひとかけらだけ広大な空に浮かんでいるのが孤独な自分の姿のように思えたのでしょう。
ぼくの孤独というものは否定できない現実なのです。
しかし孤独な青年であっても恋を求める心があります。
私たちは自身の孤独を埋めてくれる相手をどこかで求め続けている存在です。
ひとりからふたりになることで私たちは孤独という壁のようなものを打ち崩すことができます。
愛に求めるものは人それぞれです。
しかし人間存在の根源的な孤独を埋めるために愛に期待することは仕方のないことでしょう。
愛で孤独を埋めることはいいとか悪いとかの単純な価値判断で裁けるものではありません。
晴れた日だから気分はいいのだけれど、その歓びをシェアできる人がいたらもっと幸せだろう。
ぼくがそう願うことには何の罪もないです。
後はぼくの本気というものが見たくなります。
きちんと思いを実行に移して他者と交歓できる能力というものが花開くことを祈らずにはいられません。
ふたつの孤独がめぐり逢う日
朝に目覚めた風はきみに届いただろうか
その髪を風にまかせ きみはぼくを待つんだ
出典: 恋におちたら/作詞:曽我部恵一 作曲:曽我部恵一
ぼくも孤独ですが、まだ見えないきみも相応の孤独を抱えています。
朝になると風がきみを起こしますが、その横には誰もいないはずなのです。
どこかで覚醒めた孤独は、もうひとつの孤独と出会うことを求めています。
孤独なもの同士がめぐり逢って恋におちるのです。
ぼくが見たこともないきみを待ち続けているようにきみもぼくを求めています。
もちろんきみはぼくに会ったことなどありません。
いつか会えるだろうふたりは孤独なままに朝を迎えました。
しかし孤独でいるのは朝までのことだという祈りのようなものがぼくにもきみにも絶えずあるのです。
まだ見たことのないきみの長い髪が風になびく姿をぼくは想像します。
風というものも色々ですが、同じ街に住んでいるのならば風を共有している可能性があるはずです。
風に運ばれてふたりが運命の出会いをするような予感を曽我部恵一は強調します。
ぼくの心のうちに恋に対する情熱さえもなかったならば物語は一切起こりえません。
まだ見たことのないきみへの期待こそがぼくを青年たらしめているものそのものです。