さユり「birthday song」
10代最後に作られた楽曲
さユりさんの「birthday song」は1stアルバム「ミカヅキの航海」に収録されている楽曲です。アルバムのリード曲を務めています。
この曲はさユりさんが10代で最後に作った曲と公言しています。
さユりさんがどんな思いで生きているのか、この曲が物語っています。
MVはこちら
「birthday song」のMVです。
「ふうせん」のMVと似たものになっており、歌詞が書かれた紙を何度も捲っていく形で進んでいきます。
背景にTSUTAYAの看板があるので、どちらも渋谷スクランブル交差点前で撮影されたのでしょう。
「birthday song」は紙を捲っている映像も捲られていくので、舞台が何度も変わっていきます。
フルサイズのMVは「ミカヅキの航海」の初回限定盤Aにのみ収録されています。
再生回数は少なめ?
「birthday song」のMVは、さユりさんの楽曲の中では意外にも少なめです。
2018年3月現在で約70万回再生ですが、「birthday song」の2ヶ月前にYouTubeにアップされた「平行線」は500万回再生を誇ります。
「birthday song」の後にアップされた「十億年」「月と花束」の方が再生回数が伸びています。
「birthday song」はアルバムの表題曲ですが、タイアップが付いていないのが原因と考えられます。
これまでにアニメを中心に多数のタイアップを獲得していたのでそれが響いたのでしょう。
逆に言えば、タイアップが無い分、さユりさんの素の感情を出すことが出来た楽曲になったといえるでしょう。
歌詞解説
さユりさんが思う息苦しさ
人はみんな幸福を願い
もれずに私もその輪を抜け出せない
誰もが不幸になどなりたくないと
一つしかないその席を取り合った
出典: birthday song/作詞:さユり 作曲:さユり
誰もが”幸せ”になるために生きています。
さユりさんの楽曲を聞いている人もそうだし、さユりさんも同じ思いを持っています。
同じ道を辿らなくても、最終的に行き着く幸せになりたいという思いは同じです。
幸せになり損ねた人に待っているのは”不幸”です。
幸せと不幸の間のような丁度良いところは存在していません。それがあるのならその中間を目指す人もいるかもしれませんが、存在しません。
だから誰もが幸福になるような人生を選ぶしか無いのです。
選ばれなかった命を
弔うことすら出来ないままで
私は今日も白々しく
生きている
歌ってる
顔の見えない誰かに謝りながら
出典: birthday song/作詞:さユり 作曲:さユり
幸福になれる人が限られている世界です。生きている人が皆幸せになれる世界は存在しません。
だからこそ、幸福になれなかった人に対して同情し、弔ったところで意味がありません。
だから何も知らないようなふりをして誤魔化しています。ですが、さユりさんは幸福な人生を歩んでいても、不幸な人がいるから結局辛いと感じてしまっているのです。
どうすることも出来ないから、心の中で申し訳なさそうに謝っています。
どうしようもありません。これは酸欠少女さユりが持ってしまった生きづらさなのです。
パパとママが愛し合って
生まれてから二十年が経った
何人に愛され
何人を傷付けてきたんだろう
わたしは、
わたしは、、?
答えられない
出典: birthday song/作詞:さユり 作曲:さユり
「birthday song」はさユりさんが10代で最後に作った楽曲です。さユりさんが生まれてから20年が経ちました。
生きてきて沢山の人と接してきました。福岡から上京して路上での活動もあり、沢山の人に出会ってきたでしょう。
これまでにさユりさんが歌った曲が多くの人を救ってきたでしょう。ですが、全てが肯定されるわけではありません。
さユりさんの歌で不快な思いをした人だっているかもしれません。
それなら歌わないべきなのか、それとも歌うべきなのか。進むべきなのか、譲るべきなのか。
誰かを押し殺してまで生きることに意味があるのか、と語りかけているのでしょう。
選ばれたかった誰かが
見れたかもしれない光の色を
私は今日も探している
死にたいと生きたいの間を
何度も何度も、行き来しながら
出典: birthday song/作詞:さユり 作曲:さユり