「津軽海峡・冬景色」はファンの声に押されて「アルバム」より「シングルカット」で発売!

『津軽海峡・冬景色』石川さゆりが国民的大ヒットを記録した理由とは?歌詞&コード譜も紹介♪の画像

「津軽海峡・冬景色」 は「作詞:阿久悠 作曲・編曲:三木たかし」です。 

石川さゆりは、1973年3月25日、15歳でアイドル歌手として「かくれんぼ」でデビューししました。山口百恵、森昌子、桜田淳子ら「花の中3トリオ」の影に隠れ、ヒット曲に恵まれなかったのです。 

それから4年後の1977年、「津軽海峡・冬景色」で、大ブレイクを成し遂げます。 

18歳にして、北へ向かう女性の心情を歌い上げ、「第19回日本レコード大賞」歌唱賞や、「FNS歌謡祭」グランプリを受賞しました。

1977年、ピンク・レディーがヒットチャートを席巻する中、「津軽海峡・冬景色」は大ヒットし、さらに「第28回NHK紅白歌合戦」へも念願の初出場となりました

実は、「津軽海峡・冬景色の歌謡碑」は、青森市内の青森港内にもあります。

青森県外ヶ浜町の竜飛崎(たっぴさき)に立っている歌謡碑の正面の赤いボタンを押すと、いきなり大音量で歌が流れ出します。

「風が強いので歌声がかき消されないように」という配慮からのようですが、爆音に近いと話題になっています。


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石川 さゆり略歴と「津軽海峡・冬景色」誕生秘話!

① ホリプロにスカウトされ芸能界入りを果たします。

小学1年の時、島倉千代子の歌謡ショーに接し感動、次第に歌手を志すようになります。

横浜市立城郷中学3年の夏休みだった1972年、フジテレビ系列の「ちびっ子歌謡大会」し参加し合格しました。 

ホリプロにスカウトされ芸能界入りを果たします。

1973年3月25日、「かくれんぼ」でアイドル歌手として日本コロムビアよりデビュー、キャッチフレーズは「コロムビア・プリンセス」でした。

しかし、歌手デビューから暫くは「大きな人気」を得るには至らなかったのです。

② 4年後の1977年、「津軽海峡・冬景色」で、大ブレイクを成し遂げます。

会社側は、石川さゆりを大きく育てるために、石川さゆりの13枚目のシングルより阿久悠、三木たかしコンビに楽曲を提供してもらいます。

アルバム12曲を作りその中からシングルを1曲選ぶという一か八かの作戦に出ました。

その12曲がアルバム「365日恋もよう」の収録曲で、発売されたのは1976(昭和51)年です。

コンサートで「津軽海峡・冬景色」を歌ったところファンから「シングルで出して欲しい」という要望が多かったため、1977年シングル化され石川さゆりの出世作が生み出されたのです。

『津軽海峡・冬景色』石川さゆりが国民的大ヒットを記録した理由とは?歌詞&コード譜も紹介♪の画像

・1977・翌1978年発売のシングル「能登半島」「暖流」「沈丁花」なども続けてヒットしました。

「津軽海峡・冬景色」と、それに続いてヒットした「能登半島」「暖流」を指して石川さゆりの三部作と言われました。

・1980年代に入ってからも、「波止場しぐれ」「天城越え」「夫婦善哉」「滝の白糸」「風の盆恋歌」などと順調にヒット曲を世に送り出し、日本を代表する女性演歌歌手の一人となリました。

③ デビュー以来122本のシングル、多数のアルバムを発売しています。

・121本目のシングル  :「45周年記念シングル」百年の抱擁(作詞:なかにし礼/作曲:杉本眞人/編曲:坂本昌之 2017年 発売) 

・122ほんめのシングル」:「45周年記念シングル第2弾」春夏秋冬 (作詞・作曲・編曲:小渕健太郎 2017年6月21日 発売) 

・123本目のシングル  :「夫婦人情」                               (作詞・作曲・編曲:2018年1月3日 発売予定

・「紅白歌合戦」出場回数1977年初出場より2016年まで39回出場2017年も出場者に選出発表されています。

ギター・ピアノコード譜

いしかわさゆり

「津軽海峡・冬景色」石川さゆりが国民的大ヒットを記録した理由を考える!