「泡」は映画の内容とリンクした曲

映画「太陽は動かない」主題歌

この曲は、2021年公開映画太陽は動かない」の主題歌

この映画は、俳優の藤原竜也さんと竹内涼真さんが主演されています。

映画の内容は、主人公二人が心臓に爆弾を埋め込まれ、ミッションをクリアしないと爆発するという内容。

二人は常にと隣り合わせ。

生きるためにひたすらミッションをクリアしていくことで物語は進みます。

アクションシーンも多めで、とても迫力ある映画。

生きるために命をかけてミッションをクリアしていくシーンは、手に汗を握るほどの緊迫感

一時も目が離せない映像が続く、ハラハラドキドキな映画です。

命を泡の儚さに重ねた曲

とは、とは、とはを考えずにはいられない映画の主題歌であるこの曲。

「泡」は、常田大希さんの作詞作曲

King Gnuの前身バンドであるSrv.Vinciに作られていました。

今回の映画主題歌の担当が決まったことをきっかけに、作品をイメージしたものにアレンジ。

タイトルも一新し「」としてリリースされました。

この「泡」は「あぶく」と読みます。

「泡」には、どのようなイメージがありますか?

お風呂に入ったときや、食器を洗うとき、洗濯をするときに見る泡。

泡は、液体の中に空気を含んで丸く膨れたもの。

シャボン玉も泡の一つ。

「あわ」「あぶく」とも読みますが「うたかた」とも読みます。

「うたかたの夢」といった表現で使われることが多いように、儚いイメージがあるでしょう。

儚くて、貴重で、ちょっとしたことですぐに消えてしまいそう。

この曲は、そんな儚いイメージがある「泡」に、映画の主テーマでもある「命」を重ねている曲です。

決して他人事ではない不条理さと命の儚さ

常田大希さんは、運命の不条理さ、その中で必死に生きる人の命の儚さをこの曲で表現しています。

この曲の主題歌である映画「太陽は動かない」は一見すると特殊な状況の中に置かれた二人の物語。

しかし、命の長さは違えど、毎日を生きようとする姿は私たちと同じでしょう。

運命に翻弄され、窮地に立たされれば何とか打開しようと必死にもがく二人

偶然や必然の方向性が少しでも違えば、もしかしたら自分が同じ境遇に立たされていたかもしれない…。

と考えれば、何も特殊な次元にいる二人ではなくなってしまいます。

まるで人間の人生を縮図にしたような映画。

他人事では済まされない、儚い人生や生き方が常田大希さんの目線で描かれている曲なのです。

いったいどのような歌詞なのか、とても気になります。

紐解いていきましょう。

人生には、納得できないことばかり

後悔、悲しみ、まとわりつくやるせない気持ち

消えたの 泡となり
消えたの いつの間にか
わかってりゃもっと
ずっといっそ清らかに
溶け合ったのにね この気持ち

出典: 泡/作詞:常田大希 作曲:常田大希

最初の二文は倒置法が使われています。

正しくは「泡となり 消えたの」「いつの間にか 消えたの」。

何気ない一文を、倒置法にして歌詞にするだけですごく深みが出ます。

印象的な一文で始まる曲のように感じられるのではないでしょうか。

泡となって消えたのは、人の命

命は、いつ終わるのかわからないもの。

元気だと思っていた身近な人が、突然死んでしまったとしたら、何を思いますか?

なぜ死んでしまったの。

あんなに元気だったのに。

伝えたいことがあったのに、まだ何も伝えられていない。

後悔悲しみなどが混ざり、とてもやるせない気持ちになるのではないでしょうか。

最初からいつ死ぬのかわかっていたなら、このつらい気持ちも少しは平気だったかもしれないのに。

そう伝えている歌詞なのです。

 命の儚さと、それを失うことを身近に感じている人の切なさが伝わってくるでしょう。

普通のこと、では処理できない気持ち

跳ねたの 魚となり
誰よりも 軽やかに
そのままもっとずっと
いっそ清らかに
溶けゆけたらね この気持ち

出典: 泡/作詞:常田大希 作曲:常田大希

最初の一文も、先ほどと同じように倒置法が使われています。

正しくは「魚となり 跳ねたの」。

静かな水面に、ぱっと突然魚が飛び跳ねる光景。

よくある光景かもしれませんが、目を引きます。

それを誰よりも軽やかに跳ねた、のは、同じ条件の中で精いっぱい生きたことを意味しているのでしょう。

当たり前のことを、精いっぱいこなして光り輝く姿は、人の人生も同じです。

生きるという当たり前のことをして、精いっぱい光り輝く人生に。

人はなぜ何のために生きるのでしょうか?

時には理不尽で不条理な状況に立たされながらも、必死に生きる人たちがいます。

でも、それが人間の普通なのでしょう。

しかし、そのことに対して納得いかない処理できない気持ちがあるということを伝えたいのです。

突然訪れる死の不条理さ