山口百恵「横須賀ストーリー」
1976年6月にリリースされた13ndシングル
楽曲が豊富にあり、歌唱ごとに様々な表情を見せてくれていますよね。
14歳でデビューをし、当時人気の高かった同年代の森昌子や桜田淳子と共に「花の中三トリオ」としても知られていました。
どことなく、もの悲し気な陰のある山口百恵は、歌手としてデビューからいろんなイメチェンを行っていました。
この「横須賀ストーリー」も、イメチェンの転機の一つとなった楽曲です。そして、山口百恵の人気を後押しした作品ですね。
「横須賀ストーリー」が歌われる少し前までは、「ひと夏の経験」や「青い果実」などちょっと大胆な歌詞を歌った楽曲が多く、作り上げられる歌手イメージに、まだ若かった山口百恵自身も随分と悩んでいたそうです。
そして彼女は自分自身の力でその悩みを打ち破ったのです。
「宇崎竜童に曲を書いてほしい」
もちろん、スタッフからは猛反対を受け、はじめはまともに取り合ってもらえなかった言葉でしたが、はっきりと口にしたことでこの奇跡の楽曲が出来上がったんですね。
今まで歌ってきた楽曲とは明らかに違った作品
阿木燿子&宇崎竜童で作られた名曲
「横須賀ストーリー」は、1975年に「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」で、ヒット作を世に送り出していた宇崎竜童と、その奥さんの阿木燿子で制作された楽曲です。
「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」は、「あんた、あの娘のなんなのさ」というフレーズはインパクトがあって、若い世代でもこの曲を知っているという人も多いのではないでしょうか。
ゴリゴリのロックを制作していた宇崎夫妻がなぜ、トップアイドルの曲を作ることになったのでしょうか。
実はある音楽プロデューサーが、このあまりにも異色な組み合わせが面白いと思い、山口百恵の希望を宇崎夫妻へとつなげたのです。
山口百恵は、曲を書いてほしいとスタッフに伝えるだけでなく、自ら電話をして楽曲を依頼したそうです。まだ年端も行かないアイドルは当時、事務所のいいなりが普通だったのに、とても行動力のある人物だったことが分かりますね。
宇崎夫妻には、最初、山口百恵のアルバム用に楽曲を3曲かいてほしいといわれたそうです。出来あがった4曲の楽曲のなかで、「横須賀ストーリー」はアルバムに収録されていなかったんですね。
宇崎竜童としては、一番面白い曲に仕上がった自信作でしたが、アイドルが歌うには合わなかったんだと”没”を覚悟していたと語っています。
しかし宇崎夫妻は、そのあと「横須賀ストーリー」をシングルでリリースするという知らせを受けたそうです。宇崎竜童もその知らせで、これまでの山口百恵の世界を変えていくつもりだと実感したとコメントしています。
山口百恵の表現力がすごすぎる
「横須賀ストーリー」は、会うたびに煮え切らない態度をとる男性に対して、本音を聴けないつらい恋をしている女の人の心のつぶやきが歌詞にはめ込まれています。
今までのアイドルのイメージから大人な女性への変貌を魅せた「横須賀ストーリー」は81万枚の売上を記録し、山口百恵最大のヒットシングルなのですが、それは楽曲の良さだけでなく、山口百恵の深い表現力があったからだといわれています。
作詞家の阿木燿子から、作詞家冥利に尽きると言わせるほど1つ1つの歌詞から深い世界観を感じ、表現していたんですね。
10代とは思えないほど大人びていて、切なさや侘しさの中に強さも感じることが出来ます。
様々な映画でも活躍していて、山口百恵の本質は”女優”とも言われています。
その世界に身を投じ、全てを演じ切る。それは、歌手としても同じことかもしれませんね。
また、山口百恵といえば、多忙な中でもいつも文庫本を持ち歩いて勉強していたそうです。言葉から世界を読み解くことを普段からしていたからこそ、若くても深い歌詞観を表現できたのではないでしょうか。
様々な歌手がカバーしている「横須賀ストーリー」も楽しんでみて♪
横須賀ストーリー シシド・カフカ Shishido-kavka - YouTube
山口百恵さんの曲をカバーしてます。 シシド・カフカさんのドラムは本物ですよね!
※前後切れてます。
はやりアーティストが違うと、それぞれ違った表情を見せてくれますね!
「横須賀ストーリー」の歌詞
これっきり これっきり もうこれっきりですか
これっきり これっきり もうこれっきりですか
出典: https://twitter.com/akiyoko_songs/status/931696206996058119
街の灯りが映し出す
あなたの中の見知らぬ人
私は少し遅れながら
あなたの後 歩いていました
出典: https://twitter.com/kouhaku_red_bot/status/728666779170410496