天才ラッパーの代名詞のようにキャリアアップを続けるSALU。
彼にも当然ヒップホップと出会った瞬間がありました。
それが偶然耳にしたKICK THE CAN CREWです。
1988年生まれのSALUがラップを書き出したのは中学時代だといわれています。
換算するとKICK THE CAN CREWが紅白歌合戦で『マルシェ』を披露した頃なのでしょう。
ポップミュージックの普遍的な素晴らしさは少年少女に夢を与えるパワーです。
当時、多くの若者が見様見真似でラップを始めました。
その中でSALUが頭角を現すことができたのは彼が天才だからなのでしょうか?
「天才とは努力する凡才のことである」
かの有名なアインシュタインの言葉です。
SALUは華やかなステージで言葉を操るKREVA達に追いつこうと必死に腕を磨きました。
その姿勢を貫いた結果、LDHでEXILEと並ぶという未来を描くことができたのです。
ラップに出会い人生が変わった
仕事もロクに続かない
自分の意見も言えない
こんな俺に生きる意味を与えてくれて
ありがとう俺のRap Game
出典: RAP GAME/作詞:SALU 作曲:KM
ラップに出会わなければ自分はただのはぐれもの。
SALUの追想はリアルなものなのでしょう。
余談ですが博識なラッパーとして有名なダースレイダーがラップと吃音の関係性について語っていました。
まだ研究段階のようですがラップがもたらす高揚感がストレスフリーな状態を作り出すこと。
そしてその状態は吃音の原因となる極度の緊張を緩和するというのです。
実際にWu-Tang ClanのMethod Manは吃音症だといわれています。
SALUが吃音かどうかは別の話として彼はラップを通して素直な気持ちを吐き出す術を得たのです。
そのことが人生を変えたという事実にSALUは感謝の念を綴っています。
まだ明かせないこともある、だから...
更なる高みを目指して...
俺にはこれしかねぇ
間違いねぇやっぱこれしかねぇ
どれだけ叩かれても俺引かねぇ
今までと同じなんて嬉しかねぇ
出典: RAP GAME/作詞:SALU 作曲:KM
日本から遠く離れたソウルでの追想の記録である『RAP GAME』。
SALUは日本代表の看板を背負って各国のナイトライフを彩る旅に出ていたのです。
かつて日本が経済でも芸術でも先進国と呼ばれたのは遥か昔。
特に韓国・タイ・インドネシアといった東アジア諸国のヒップホップ業界の躍進は目を見張るものがあります。
その世界で現状維持は退化と同義、常に進化することを求められるのです。
異なる言語・文化圏ですさまじいスキルを見せる同世代のラッパーを見て確信します。
「やっぱラップ・ゲームは面白い!」
30代を迎えたSALUは更なる高みを目指すことを心に決めたのです。
Make My Brand!
Interviewじゃ読めないおれのBackground
まだ明かしてないことたくさん
Tweet Tweet 無駄口は叩かずに
ビートの上仕掛け続ける爆弾
出典: RAP GAME/作詞:SALU 作曲:KM
半自伝的な要素を詰め込んだかに思えた『RAP GAME』の中盤。
SALUは不敵な笑みを浮かべます。
様々な媒体でのインタビュー、SNSでの発信、これまで作り上げてきた楽曲。
「これが全部じゃないよ」
歩んできた歳月の数だけSALUには語りたいことが増えていきます。
アーティストにとって自身のブランディングは必須です。
SALUの脳内には超弩級の爆弾がいまだ燻っていることが示唆されます。
2018年、SALUは古舘伊知郎(!)と組んだ曲で高らかに歌い上げたのです。
「自身の価値を高めろ」と。
未来に繋ぐ『RAP GAME』
仲間の夢を背負って...
甘くない だけどやる
消えていったやつらの分もやる
彼らが託した
俺は皆が見た夢なんだ
出典: RAP GAME/作詞:SALU 作曲:KM
ヒップホップはいまや世界最高級のエンターテイメントです。
グラミー賞を軒並みヒップホップアーティストが飾る米国がよい例でしょう。
その反面残酷な現実に直面し音楽の道から離れる人間も後を絶ちません。
成功者は彼らの夢も背負って生きていくのが宿命なのです。
さながらRPGゲームの冒険者のようにSALUの胸は高鳴ります。