足りないものを埋めるより、自分の持っているもので十分だ

結局人間ってのは 一つや二つの欠落はある
何かが足りないと思うか 何かが必要と思うか
最低限の荷物はある 僕にはこれで十分すぎる
もう一度僕は駆けてみよう 必死で夢中に駆けてみよう

出典: https://twitter.com/white_steps/status/846375287038259202

「結局人間ってのは 一つや二つの欠落はある」のに、その「欠落」の存在を認められず、人と比べることによってあれが「足りない」自分にもこれが「必要」と荷物を増やしていくことによって、自分のもともと持っていたものを捨ててしまって、空虚になっていくという歌詞

本当は、生まれ育つ中で自然と身についていったものだけで「最低限の荷物」はあって、「十分すぎるもの」なのです。

そもそもそんな「最低限の荷物」を捨ててしまうから空っぽになり、やがて虚しくなるのですね。

では、どうしたらいいのか。

そこでこの曲がたどり着いた一つの答えは自分が自発的に考えたことや、描いた夢や希望を持って「必死に夢中で駆けてみよう」ということなのです。

 現代の若者は無個性で魅力がない人が多いとか、自発性がないとか、夢も希望もない悟り世代だとか言われる昨今ですが、結局、情報が溢れすぎて、いろんな人の影響による無い物ねだりや、世間の言う「いい」ものに囚われすぎて、空虚になっていっていたのかもしれない、そんな風にふと思い至らせるような歌詞ですね。

例えば、いじめで自殺した人の中にも、もしかしたら、学校に行かないといけない、その方が「いい」という社会の考えに縛られなければ、今も生きていた人がいるかもしれない。

たくさんの「友達」に囲まれていても、いつも愛想笑いを浮かべて、人に従って、自分の生きている意味や価値が薄れていっている人は、絶望や孤独に陥ると簡単に命を手放してしまうかもしれない。

「空っぽの空」は、この社会が生み出していたのです。

社会の生み出す空虚に気づいて、反抗したって虚しいだけ

今日が暮れて今日がやってくる
流れのままにとは行かないが
嫌なものを嫌と言ってたら
こんな今日に流れ着いた
だから今日は記念日だ
戦った僕の記念日だ
ただ一つだけ問題がある
全くもって虚しい今日だ

出典: https://twitter.com/white_steps/status/846375376263639040

前の歌詞から、社会の観念にとらわれず、「嫌なものを嫌」と言ってみたら、「今日」にたどり着いたと言う歌詞。

自分で考えて行動に移した、その行動自体は評価できるものなので、「今日」は「記念日」と言えるかもしれません。

しかし、「嫌なものを嫌」と言って社会の流れに逆らったところで虚しさは消えなかったのでした。

 この曲のテーマに沿って考えるなら、何かに反抗するだけでは自由も幸福も手に入らないと言っているのです。

永遠などない世の中で、何に幸福を期待すればいい?

楽しけりゃ笑えばいいんだろ 悲しい時は泣いたらいいんだろ
虚しい時はどうすりゃいいの? 教えて 教えて
名残惜しさも無くさよなら 愛した人や物はあっけない
それに何を期待すりゃいいの? 教えて 教えて
空っぽの空に潰される

出典: https://twitter.com/white_steps/status/846375376263639040

世間の定義する「いい」こと、思い出、時間が解決するという言い回しで使われるような時間、そして、決められた枠に反抗することその全てに「幸福」を求めたところで、本当の「幸福」を得られる「期待」すらできないとしてきた今までの歌詞。

ここではさらに「愛した人や物」に対して「幸福」を求めることに関しても否定しています。

「愛した人」の命にもいつか終わりは来るもので、「物」であっても永遠に続くものはそうないものです。

そして、何かを愛すれば愛するほど失った時の悲しみは深くなるものです。

しかし、ここまで来ると、「弱音」を言っているようですね。

このことからさらに次の歌詞へと繋がっていきます。

恒久的な欠落とは?幸福への足がかり

弱音を吐いたら楽になるか
泣くだけ泣いたら楽になるか
死にたいと言えば気持ちいいか
そこから踏み出したくはないか
どっかに忘れ物をしたよ
教室か母のお腹の中か
恒久的な欠落を愛してこその幸福だ

出典: https://twitter.com/J6cAS25/status/910058412490162177

この部分は大切な人や物との別れが辛いからそんなものは持ちたくないと「弱音を吐いたら楽になる」のか、そして、悲しいからと言って「泣くだけ泣いたら楽になる」のか、そして、全てに「幸福」が期待できないからと言って「死にたいと言えば気持ちいいか」とここまでの歌詞の内容を全て振り返って問いかけて来るような歌詞です。

その上で、「そこから踏み出したくはないか」ともう一度問いかけます。

ここからが秋田ひろむさんが出した、空虚や不幸と紙一重の「幸福」への堂々巡りから抜け出すための結論ということですね。

「どっかに忘れ物をしたよ 教室か母のお腹の中か 恒久的な欠落を愛してこその幸福だ

つまり、自分の「欠落」した部分を補って、「幸福」を得ようとするのではなく、その「欠落」こそをを自分の個性として認め、「愛してこその幸福」だと言っているのでしょう。

無から生まれ無に帰す人間がその間でできること

楽しけりゃ笑えばいいんだろ 悲しい時は泣いたらいいんだろ
虚しい時はどうすりゃいいの? 教えて 教えて
暗いところからやって来て 暗いところへ帰っていくだけ
その間に 何が出来るの? 教えて 教えて
空っぽの空に潰される

出典: https://twitter.com/negaigotokanau/status/871218711809499137

人間の命は「暗いところからやって来て 暗いところへ帰っていくだけ」の儚いもので、「その」生きている「間に 何が出来るの」か。

それを考え続け、自分の「個性」だけを持って「必死で夢中に駆けて」みること。

生きる意味を見失わなければ、「空っぽの空に潰される」こともないということです。