共同で犯罪を行ったと思われる2人の囚人A・Bを自白させるため、検事はその2人の囚人A・Bに次のような司法取引をもちかけた。
本来ならお前たちは懲役5年なんだが、もし2人とも黙秘したら、証拠不十分として減刑し、2人とも懲役2年だ。
もし片方だけが自白したら、そいつはその場で釈放してやろう(つまり懲役0年)。この場合黙秘してた方は懲役10年だ。
ただし、2人とも自白したら、判決どおり2人とも懲役5年だ。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/囚人のジレンマ
お互いに黙秘をしていれば懲役は2年で済むのですが、相手が黙秘するか自白するかというのは相手にしかわからないこと。
そういう状況に置かれると、人は自白することを選んでしまうというのがこの理論です。
これは「相手のことを信用できない」という気持ちと「あわよくば自分だけ釈放される」という気持ちからの行動。
運が良ければ釈放されるし、相手が裏切ったとしても最悪の状況は避けられるわけです。
要するに結局人は自分のことしか考えていないということですね。
もっと詳しく知りたいという方はWikipediaを覗いてみるといいかもしれません。
続いて本題の歌詞の内容を解釈していきます!
囚人のジレンマ(しゅうじんのジレンマ、英: prisoners' dilemma)とは、ゲーム理論におけるゲームの1つ。お互い協力する方が協力しないよりもよい結果になることが分かっていても、協力しない者が利益を得る状況では互いに協力しなくなる、というジレンマである[1]。各個人が合理的に選択した結果(ナッシュ均衡)が社会全体にとって望ましい結果(パレート最適)にならないので、社会的ジレンマとも呼ばれる[2]。
他人の顔色を必死に伺う
散らばった思考を一つ束ねて
恒常の絡繰り
早く次をくれと犇めく焦り
何が求められて
出典: 囚人のジレンマ/作詞:京寺 作曲:オオサワレイ、眩暈SIREN
この場面、主人公は答えがなかなか見つけ出せずに焦りを見せているようですね。
あれやこれやと散漫になりつつある意識を必死で集中させ、「何か次の案はないか」と思考を集中させている様子。
「恒常の絡繰り」という言葉が難解に見えますが、恒常は決まった形がなく移り変わっていくこと。
絡繰りは漢字だと見慣れないですが、そのまま「カラクリ」を表すものです。
人間の思考に決まった形などなく、それはまさに恒常の絡繰りといったところでしょうか。
誰かの本音に怯えては
作った顔で取り繕う
この先も続くはずの疑いに終わりをと
待ちぼうけ
出典: 囚人のジレンマ/作詞:京寺 作曲:オオサワレイ、眩暈SIREN
ここで歌われているのはなんとも窮屈な感覚。
現代社会で生きていく上で顔色を伺うことは重要です。
そうやって顔色を伺う日々に不満を持っている様子の主人公。
しかし自ら何をするわけでもなく、顔色を伺わなくて済む日が来るのをただ待っているのです。
顔色を伺っていた理由は…
駆り立てるまま心に踏み込み
在り方の違いに打ちのめされるなら
寄り添わなくても許されるだろう
すれ違っただけの影法師
出典: 囚人のジレンマ/作詞:京寺 作曲:オオサワレイ、眩暈SIREN
主人公が顔色を伺っていた理由は「自分がありのままの姿を見せたとして、相手に受け入れられなかったら…」という不安からでした。
そうやって本音を隠して取り繕った関係が、軽薄な関係であることは言わずもがな。
「すれ違っただけ」という言葉が表すように、その姿勢を取っていて本当の意味で人と交われることなどないのです。
顔色を伺う日々で失くしたもの
人が望む通り振る舞う事が
自分を守る術だから
受動性と引き換えに見失い
その名前もとうに薄れてしまう
出典: 囚人のジレンマ/作詞:京寺 作曲:オオサワレイ、眩暈SIREN
自分の意志ではなく、ただ他人の気分を害さないようにと振る舞う主人公。
他人に嫌われないということが、結局は彼にとって自分を守ることと同義なのです。
受動性はその名の通り、他人の働きかけに反応して動く主人公を表したもの。
他人の意志で動かされる彼は、自分が何者かなんてことはとうに忘れてしまっているのです。
自分の生き方に疑問を持ち始める
付き纏う刻限
細切れの情景
悲しみだけを切り取って
自身の悲劇を派手に演じて
固執するほどに
見返りを求めて
出典: 囚人のジレンマ/作詞:京寺 作曲:オオサワレイ、眩暈SIREN
何か争いごとがあったとき、自分にも非があったとしても、人に話すときはついつい自分ばかりが被害者のように語ってしまう。
自分が可哀想だと思ってもらえれば責められることはないし、手を差し伸べてくれる人だっているでしょう。
この部分には真実を隠して、自分を良く見せようとする人間の闇の部分が描かれていますね。