定番の夏うた

TUBEが全国区になった出世作

TUBEは、1985年に「The TUBE」としてデビューしました。

その後、音楽番組で姓名判断師に「The」を取ればもっとよくなると言われて、1986年に「TUBE」と改名しました。

「シーズン・イン・ザ・サン」を発表するちょっと前ですね。

改名したからなのかはわかりませんが、「シーズン・イン・ザ・サン」はテレビの歌番組などで1位を獲得

TUBEを代表する出世作となり、今でも多くの音楽ファンに愛されています。

また、歌詞の内容と明るくアップテンポなメロディで、今や夏うたの代名詞にもなっています。

海外旅行が当たり前になった時代とベストマッチ

この曲から「The夏」を感じるのは、ド直線の言葉のチョイスにあるのではないでしょうか。

一番印象的な「Stop the season in the sun」(太陽の下で季節を止めたいという意味)というフレーズ。

そして、「南風」、「デッキチェア」、「プールサイド」、「椰子の木陰」、「青い海」など、これでもかというくらいに“夏直球”の言葉を盛り込んでいます。

また、言葉だけでなくその繋ぎ方も秀逸です。

「夏という季節の中で“光る君”が好き」という視線

「このままでもいいけれど、街に戻る前にもっと愛し合いたい」という能動的な思い。

その両者が歌詞の中で非常に効果的に交差しています。

それが、聴く人に“海=解放感”を強烈にイメージさせているのではないでしょうか。

さらにこの歌がヒットした背景には、1986年から始まったバブル景気や円高も影響していたのでしょう。

曲の中には「デッキチェアでまどろむ午後」や「椰子の木越しに見える青い海」といったように、海外のビーチやホテルのプールを思わせる場面がたくさん出てきます。

それまで夢だった、海外のビーチでの女性とのバカンスも一気に現実感のあるものへと変わっていきました。

ちょうどその時期とジャストフィットしたのかもしれません。

常夏の海岸であの子と...... そして大きなグラスに入れたカクテルを2本のストローを挿して...... 

「シーズン・イン・ザ・サン」は、まるでトレンディドラマのようなシチュエーションをいやが上にも思い起こさせてくれたのです。

実際に当時は、筆者の周りで旅行先(ナンパ先?)が伊豆大島からグアムやハワイへと大きく変わっていたのをよく覚えています。

6月1日はTUBEの日

TUBEはハワイをテーマにした曲も多く、ハワイでは6月1日を彼らのデビュー日にちなんで「TUBE DAY」と制定しているそうです。

まさにSUMMER BANDですね。

「シーズン・イン・ザ・サン」を語る上で欠かせない3人のブレーン

その後のヒット曲の作り方にも大きな影響を与えた

TUBEの良質な音楽は、何と言っても、前田亘輝さんの歌唱力やメンバー全員の高い演奏力にあります。

ただ、「シーズン・イン・ザ・サン」は、3人のブレーンがいてはじめて生まれたとも言える曲です。

その3人というのが、ビーイングという音楽事務所の代表だった長戸大幸さんと、作曲家の織田哲郎さん、作詞家の亜蘭知子さんです。

長戸大幸さんは、ご自身も作曲家で石原裕次郎さんや和田アキ子さんなどに曲を提供したりしていました。

そのほかにも、ブルースハープの第一人者である妹尾隆一郎さんや舘ひろしさんのマネージメントなどで活躍。

敏腕のプロデューサーでもありました。

そして、1978年に月光恵亮さんや織田哲郎さん、亜蘭知子さんなどとビーイングを設立しています。

織田哲郎さん(作曲)と亜蘭知子さん(作詞)は、「シーズン・イン・ザ・サン」を契機に1988年ごろまでTUBEのほとんどの作品に関わっていました。

アルバムでいうと『Beach Time』まででしょうか。

現在TUBEは、前田亘輝さんが作詞、ギターの春畑道哉さんが作曲を担当していることが多いいですね。

ちなみにビーイングは、TUBEのほかにも、B'z、ZARD倉木麻衣大黒摩季、最近ではBREAKERZなどの音楽制作も行なっています。

「シーズン・イン・ザ・サン」がTUBE=夏を印象付けた?!夏うたを歌う決意が見える歌詞を徹底解釈!の画像

1990年代を席巻したビーイングの曲作り

徹底した音楽制作主義

それでは、「シーズン・イン・ザ・サン」を生み出した織田哲郎さんと亜蘭知子さんとはどんな方なのでしょうか?

織田哲郎さんは、1979年に「スピニッヂ・パワー」というバンドのボーカリストでデビュー。

この「シーズン・イン・ザ・サン」のヒットで一躍注目を浴びた、小室哲哉と並ぶ1990年代のヒットメイカーです。

※ちなみに「スピニッヂ・パワー」には氷室京介さんも「BOOWY」の結成前に所属していました。

「シーズン・イン・ザ・サン」以降も、B.B.クィーンズの「おどるポンポコリン」やZARDの「負けないで」、中山美穂&WANDSの「世界中の誰よりきっと」などミリオンセラーを連発。

1993年には、オリコンの「年間チャート作曲家部門」で年間売上1000万枚を超える新記録を達成。

この部門の年間ランキングの1位になっています。

ビーイングを離れた後は、相川七瀬さんなど幅広いアーティストのプロデュースを行なっていました。

現在はダイアモンド・ユカイさんらと「ROLL-B DINOSAUR」というバンドを結成して活躍中です。

「シーズン・イン・ザ・サン」がTUBE=夏を印象付けた?!夏うたを歌う決意が見える歌詞を徹底解釈!の画像

一方の作詞を行った亜蘭知子さんは、なんと19歳で作詞家としてデビュー。

数々のヒット曲を生み出し、テレビ朝日「どーする?!TVタックル」の初代パーソナリティでもあった才女です。

TUBEのほかにも、西城秀樹や南野陽子など多くのアーティストに楽曲を提供。

B'zアルバムB'z』の中で稲葉浩志が作詞していない唯一の楽曲「Nothing To Change」も亜蘭知子さんの作品です。

1981年からは、アーティストとしても活動をはじめ、『神経衰弱』や『色彩感覚』、『浮遊空間』など9枚のアルバムを発表しています。

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