漫画に出てくる原理とはなんでしょうか。
葛藤の末、自分がやりたいと思った道を進む主人公の姿。
それが少年漫画に描かれるよくある主人公の姿です。
「目を噛め」という表現は関西でたまに聞く表現です。
相手に呆れた時に使います。
突き進もうとしても結局強くは言えない主人公の自虐なのかもしれません。
なぜゴッホは嫌なのか
だけど ぼくがいなくて困る人なんか
いない、とも毎朝思う
ぼくは ゴッホじゃやなんだ
やっぱりゴッホじゃやなんだ
出典: ゴッホ/作詞:志磨遼平 作曲:ドレスコーズ
フィンセント・ファン・ゴッホという名前を聞いたことがない人はいないでしょう。
「ひまわり」や数々の自画像は非常に印象的です。
彼は生前に数々の業績を残したものの、それが世に広まったのは死後のことでした。
主人公は漫画の登場人物のように進むことを決めました。
しかし朝起きてみると、やっぱり自分なんていくらでも替えの効く存在だと思うわけです。
「自分が山ほど作品を残したところで、誰にも知られずに死ぬのは嫌だという気持ち」
「死後に評価されたって意味がないだろうという気持ち」
そういったやり場のない気持ちを、この歌詞に込めたのでしょう。
人生の選択肢は減っていく
だんだんだんだん増えず、減った選択肢
そのうちぼくらはひとつの未来へ進む
右か左か 選ぶ時がおとずれたら
めんどうになりそうな方に進め ベイビー
出典: ゴッホ/作詞:志磨遼平 作曲:ドレスコーズ
どんなに将来を見据えていたとしても、大人になるにつれて人生の選択肢は減ります。
あれもこれもやりたいと思っても、結局一生の中で出来ることなんて限られているのです。
人生の中で分岐はいくつも訪れます。
夢を取るのか、堅実に生きるのか、それとも二足の草鞋を履いて暮らすのか……。
大抵の場合、自分がやりたいことをやる時は面倒くさい問題がつきまとうものです。
だから自分の生きたいように生きるなら、面倒な方を選べと言っているわけですね。
時間は無限じゃない!
時計に終わりはないけれど……
ああ 時計はまわってごまかすんだよ
終わりなんてない顔をして
ねえ 死ぬとか今は信じられないけど
ずっと離さない なにが起きても
この未来がいい たらればに手を振れ!
悲しい時代でもぼくらは踊ってすごしたよ
出典: ゴッホ/作詞:志磨遼平 作曲:ドレスコーズ
時計の針はずっと回り続けます。
電池が切れたり、故障したりしない限り、止まることはありません。
しかし人生は有限です。
いつか人は死んで、その人の時計は止まります。
若い時にはそんなことを考えられませんが、確実に時間は消費されていきます。
誤魔化しているのは本当は時計ではなく、時計を見ている自分なのでしょう。
そしてその消費される時間の中、私たちは選択を迫られます。
選んだ人生を歩む中、「あの時こうすれば」とか「あの時ああ言えば」と振り返ることもあります。
しかしそんな「たられば」で時間を浪費してはいけないのです。
選択が裏目に出た時でも、その時を懸命に生きなければなりません。
ラブソングの様相を呈してくる
主人公の独白であったここまでとは違い、このパートから相手の存在をうかがうことが出来ます。
誰のことを離さないのでしょうか。
ぼくらというのは、僕と誰なのでしょうか。
この辺りから少し歌詞の雰囲気が変わってきます。