松本隆の言葉は枯渇しない
セプテンバー そして九月は
セプテンバー さよならの国
ほどけかけてる 愛のむすび目
涙が木の葉になる
出典: SEPTEMBER/作詞:松本隆 作曲:林哲司
9月はさよならが支配するのだとするキャッチーな言葉遣い。
そして木の葉が風に揺られて落ちるのと頬を伝う涙の姿を重ね合わせる見事な表現に驚かされます。
松本隆が成熟して大ヒット曲の歌詞を量産するほんの少し前に書かれた歌詞です。
職業作家として様々な歌詞を書いていても言葉や表現が枯渇しないのは驚異であります。
松本隆と同じ言語を使えるというのは幸せなことです。
男性の心変わりに涙する彼女。
しかしこの後に思いもよらない復讐を企てます。
もう少し歌詞を見ていきましょう。
ちょっと際どいライン
歌の世界の出来事です
逢ってその人に頼みたい
彼のこと返してねと
でもだめね気の弱さ 唇もこごえる
出典: SEPTEMBER/作詞:松本隆 作曲:林哲司
ちょっと怖くなるラインですが林哲司のポップなメロディーでニュアンスが緩和されます。
愛した男性がよほどいい男だったのでしょうか。
彼女は恋敵に直接逢って男性を私のもとに返してくれといいたい気持ちが芽生えます。
心変わりするような男性がいい男とは思えないのですが歌の世界の出来事です。
一方でそんな大それたことは自分にはできないとも歌います。
リアルにこうした行動を起こすと行く末は殺傷沙汰になりかねませんので本当にご注意ください。
旧くなった恋には執着しないくらいの独立心みたいなものを今の女性は持っています。
また当時もここまで男性に依存する女性は少数であったはずです。
時代はもうすぐ軽薄な1980年代に差し掛かります。
恋心の未練がカッコ悪い=ダサいという言葉で片付けられる時代が目の前です。
9月は寂しい季節?
共通の話題がなくなったらもう終わり
セプテンバー そしてあなたは
セプテンバー 秋に変った
話すことさえなくなるなんて
私に飽きた証拠
セプテンバー そして九月は
セプテンバー さよならの国
めぐる季節の色どりの中
一番さみしい月
出典: SEPTEMBER/作詞:松本隆 作曲:林哲司
男女が会話の糸口さえ見いだせないくらいになるともう本当のお別れの時期です。
たまたまその時期がこのふたりにとって9月であったために12ヶ月の中で一番悲しい月になります。
「9月生まれの人はみんなこの曲が好きになる」
そんな海外からのコメントも見受けられるのですが歌詞の内容が分からなかったのでしょう。
竹内まりやはとかくジメジメしがちな男女の別れをスパッと爽快に歌い切ります。
海外のリスナーはその美声に惚れ込むでしょうからこういった歌詞だとは想像つかないかもしれません。
昨今では夏の異常気象で酷暑の毎日が続きます。
そのため若干、暑さが弱まる9月は愛される傾向にあるでしょう。
日本では一番好きな季節は秋という人が多いです。
春と秋が愛される傾向ですがどちらも気象変動で季節が短くなっています。
春と秋は恋愛の季節のイメージが強いです。
創作物にそうした傾向が現れているからでしょう。
そんな9月を一番さみしいなどと断定するのですから「SEPTEMBER」という曲は異例です。
痛快な復讐劇
ユーモアは失恋を救う
借りていたディクショナリー 明日返すわ
ラブという言葉だけ 切り抜いた跡
それがグッド・バイ グッド・バイ
出典: SEPTEMBER/作詞:松本隆 作曲:林哲司
「SEPTEMBER」の歌詞の中でも一番ユーモアが冴えたラインです。
英語の辞書を借りていたということはこの男女は学生でしょう。
男子学生が年上の女性に好意を抱いてしまうのは仕方のないことかもしれません。
まだ幼い恋愛であったのです。
借りていた英語の辞書の「Love」の部分を切り取って返却する。
このくらいの復讐は許してあげたいものです。
辞書から文字を一部切り取るというアイディアを松本隆は何処で得たのでしょうか。
「余の辞書に不可能の文字はない。何故なら切り取ったからだ」
そんな定番ギャグがありますがまさかそんな出自ではないと想います。
ここで分かるのはこの曲を貫く軽さです。
ストーキングしても、相手と話す! と意気込んでもどこか軽い歌唱に救われてきました。
竹内まりやは終始、上品なコメディアンヌが歌を唄うように軽妙に歌い上げます。
この世代の日本の音楽家は既存の歌謡曲の枠組みをどうしても打ち破りたいという気概がありました。
別れを切々と唄うようなメンタリティーとは決別して新時代の音楽を鳴らしたい。
そんな当時からの想いが今、やっと世界中で認知されるようになったのです。
竹内まりやの海外ファンの情熱は素晴らしいものがあります。
彼女を長年、日本で支え続けてきたリスナーにとってもここのところの注目は嬉しいものです。