特に意味がありそうなのは、MVのラストです。
MVには悲しみにとらわれてしまったような女性が登場します。
悲しみに沈んで今にも溺れてしまいそうな彼女。
しかし最後のシーンで、ガラス越しに誰かが現れ、その手が彼女の手に触れます。
その手は彼女を救ってくれる誰かなのでしょうか?
誰にでも一瞬で悲しみから救ってくれるような出会いが来る。
もしかしたらMVにはそんなメッセージが込められているのかもしれません。
悲しみもいつかは○○
皆さんは、「悲しみもいつかは」の続きは何だと思いますか?
悲しみもいつかは"晴れる"でしょうか?
悲しみもいつかは"忘れる"でしょうか?
何にせよ、悲しみの果てに明るい未来があるなら良いなと思います。
それでは続いて、歌詞の意味を解釈していきましょう。
切ない歌詞の意味は?
作詞作曲は誰?
2018年9月21時点では、「悲しみもいつかは」の作詞作曲が誰なのかは残念ながら分かっていません。
今までのハロの傾向からすると、作詞はほぼ間違いなくボーカルの渡井翔汰なのかなと思います。
一方作曲はギターの齋木孝平だったりボーカルの渡井翔汰だったりそれぞれなので分かりません。
どちらにしてもハロのメンバーが作ったということは確かです。
ハロが考える痛みへの向き合い方
この生命が底をつく その日までは
悲しみと背中合わせに
降りかかる全てを奇跡と言うなら
痛みすらも愛せるかな
出典: 悲しみもいつかは/作詞:未公開 作曲:未公開
人類が生きている限り、悲しみがなくなる日は来ないでしょう。
しかし、悲しみを経験することさえも奇跡なのだと考えると心が軽くなります。
そんな奇跡を積み重ねていると考えると、少しポジティブな気分になれるんです。
痛みにどう向き合うのかと考えさせてくれるような歌詞だと思います。
悲しみを少しでも楽にしようという気持ちがひしひしと伝わってくる歌詞です。
悲しみもいつかは 忘れてしまうから
たった一瞬の思いを守るように
閉じ込められた君を救い出すのさ
この鼓動が止まる日まで終わりは来ないから
出典: 悲しみもいつかは/作詞:未公開 作曲:未公開
すぐにサビに突入していきます。
悲しみは永遠に続くわけではないという意味でしょうか。
悲しみはすぐに消えてしまうものなのに、その感情に押しつぶされてしまった「君」。
「君」はもう悲しみから抜け出せないと感じているのかもしれません。
そんな彼女を救いたいと意気込む主人公の想いが伝わってきます。
そして最後の1文に出てくる「終わり」とは一体何の終わりなのでしょうか?
もしかしたら、悲しみに終わりが来ないということでしょうか。
そうだとするとかなりシビアです。
悲しみには終わりがないという現実を知っているのなら、忘れてしまうのは生命が終わってから?
つまり、生きているうちはまた悲しみにくれるけど、死んだら忘れてしまうということでしょうか。
はたまた、終わりの来ない悲しみでも、前の悲しみは忘れることはできるということでしょうか。
どちらにしてもいつかは忘れることになる「悲しみ」について深く考えさせられる歌詞となっています。
ハロが教える幸せの見つけ方
かける鳥が空を知らぬように
海を知らぬ魚のように
有り触れたものがそこにあったとしても
幸せとは気づかなかった
出典: 悲しみもいつかは/作詞:未公開 作曲:未公開
灯台下暗しという言葉がありますが、近くにあるものはなかなか見えにくいものです。
同時にポジティブな感情は感じにくいものなのかもしれません。
悲しみというネガティブな感情は身に染みるのに、幸せというポジティブな感情は感じにくい。
この部分の歌詞には「幸せはすぐそこにあるんだよ」というメッセージが込められているのかもしれません。
誰もが孤独な歌を歌う詩人だ
日々を綴るように 立ち向かうべき明日へ
幸福の中で僕らは何かを探している
思い出せるかい
出典: 悲しみもいつかは/作詞:未公開 作曲:未公開
素敵な言葉たちがずらっと並びます。
1人1人が毎日の日記を書いているように生きているという意味でしょう。
私たちの探していた「何か」とは何だったのでしょうか?
人は誰もが自分のストーリーを作りながら生きているのかもしれません。