ダークな世界観がたまらない曲

宗教的な内容?

luz【FANATIC】歌詞の意味を考察!「キョウソ」とは誰?次々と理性と取り払ったらどうなる?の画像

V系テイスト溢れる歌い手として人気のあるluz(ルス)さん。

2019年に行われる彼のツアータイトルになっている『FANATIC』を今回はご紹介していきます。

英語で「狂信者」という意味があるタイトルですが、宗教的な内容なのでしょうか?

意味深な歌詞の意味を探ってみたいと思います。

まずはダークでかっこいいMVからご覧ください。

MVをチェック!

次々に集う黒服の信者たち

恐ろしい形相の龍の装飾が映し出され、タイトルが登場。

「狂った夜を僕たちで始めよう」

英語でそう歌いながら黒装束のluzさんがゆっくりと歩いてきます。

全身真っ黒ですが、手袋だけ真っ赤というのが印象的ですね。

フードを深く被っており、すでにミステリアスさ全開。

彼の後には、同じように真っ暗な服装の人々が続きます。

場面は変わり、沢山のローソクが並んでいる前に佇んでいるluzさん。

初めは一本だけにローソクに火が灯っていましたが、彼が手を動かすとどんどん他のローソクにも火が灯っていきました。

彼に何か神秘的な力があることが示唆されていますね。

赤いカーペットの上を歩いてゆくluzさんとその狂信者?たち。

luzさんの手には薔薇の花束が握られていましたが、一本だけ床に落ちてしまいます。

彼は気にも留めずに歩いていきますが、狂信者の一人がそれを拾い上げました。

臨場感のあるライブシーン

靄(もや)の中から現れたluzさんの姿は「教祖降臨」といった風情。

そこから、臨場感のあるライブシーンへ突入していきます。

華美な中国風の建物(寺院でしょうか)で演奏するluzさんとサポートメンバー

ここで登場しているのはMEJIBRAYMiAさん(ステージ下手)と、元ViViDのRENOさん(ステージ上手)というギタリスト二人。

実際のライブでもサポートを務めているお二人です。

観客の様子に注目してみましょう。

「折り畳み」という腰から体を前に倒す動きや、手をひらひらと動かす「手扇子」まで。

いわゆるV系バンドライブで良く見られる「ノリ方」なのですが、客観的な視点で見てみると圧倒されますね。

大勢が同じ動きをしているのは、なかなか異様な光景です。

確かに、何も知らない人が見ると一種の宗教かと思うかも。

「ひれ伏せ」というセリフと共に、luzさんが着ていたローブをオーディエンスに側に放るとライブの熱はますますヒートアップ。

最後に沢山のロウソクを前に俯くluzさん…というシーンでMVは終了。

曲のテーマに忠実なMVに仕上がっていると思います。

次からは歌詞を詳しく解説していこうと思います。

歌詞の解説!

快楽の楽園

shall we begin crazy night?

shall we begin crazy night?

FANATIC…

乾いたカラダ 楽園へようこそ
還れない事は もうわかってんだろ
怠惰の果てで 待ち侘びてる
快楽への situation

出典: FANATIC/作詞:luz 作曲:Shota Horie

「さあ狂った夜を始めよう」と歌うluzさん。

狂信者たちへの呼びかけから歌詞はスタートします。

彼女や彼らは刺激的なことに飢えている様子。

もしくは、自分の人生が無味乾燥な味気ないものに感じているのかも。

そんな狂信者たちが「楽園」と呼ぶのはどこなのでしょうか。

居場所がない人々は、同じ対象を崇める集団へと身を寄せます。

「怠惰」は「なまけたり、だらしのない様子」を表す言葉です。

狂信者たちは、いわゆる「落ちこぼれ」なのでしょうか。

そんな自分の状態にもどかしさも感じながら、その「落ちこぼれ」な立場に甘んじている。

鬱屈した状態を脱出することは、人々にとって、とても気持ちの良いことなのでしょう。

その手段として「狂信者」になることを選んだのではないでしょうか。

何かに属することで、自分がその一員であるという肩書きが生まれる。

「何者でもない」状態から脱出することもできる(アイデンティティーの確立)ことから、比較的若い人々はそうなりやすいのかもしれません。

盲目な狂信者たち

「貴方が欲しいの 愛が欲しいの」
盲目に酔い 滑稽な様子だ
自己愛的感情 曝け出して 天国への navigation

抑えきれない 欲望 濡れたままで 堕ちる
妄想と現実[リアル]の狭間でcry
限界 本能 見せておくれ

出典: FANATIC/作詞:luz 作曲:Shota Horie

狂信者は信仰する、慕う相手からの反応を欲しがります。

一方的な愛情表現を教祖ことluzさんは嘲笑うような言い方。

本当は相手が「愛される自分が好き」なだけだと見抜いているのでしょうか。

多くの人々から慕われているような存在が、自分を愛してくれるという優越感に浸りたいのかも。

それらをむき出しにするのも、ある種の自己表現と言えるのかもしれません。

こういった一連の行動は「天国」へ導かれるために必要だと歌っているように感じました。

後半は少し艶っぽい歌詞ですね。

前半の自分勝手ともいえる欲求を抱えて、狂信者たちはどんどん教祖へのめり込んでいってしまいます。

頭の中でその欲求を満たす内容を妄想するも、現実には全く叶えられそうもない…

そのことに苦しむ狂信者。

最後のフレーズは解釈が分かれそうですが、妄想が実現されないフレストレーションを自分へぶつけろと言っているのかもしれません。