ボクらはレールの上で嗤う、心の裏側で動く「劣等(線)」、「愛憎(線)」、「感情(線)」を隠して。

とても意味深なフレーズです。

「痛い痛いなんて泣かないから」「目を離さないでくれよ」というのは、切実な願いの言葉です。

たとえ傷ついたとしても目を背けないでしっかりと見つめて欲しい、という。

とてもギリギリの状態であることは言うまでもありません。

「それはさながらイケナイコトでしょうか」は日本語としては少し不自然な表現です。

何となく芝居のト書きを思わせるような切り出し方でもあります。

一般的には「それはさながら」という後には、「地獄の業火」などの想像を超えたモノが続くはずです。

ところがその後に「イケナイコト」と続くわけです。

そうすると「イケナイコト」が「見たこともなく想像を超えた」もの、という逆転の効果を生んでいます。

「それはさながら」という言い回しや「イケナイコト」というような表記は大正期の小説を思わせます。

江戸川乱歩や夢野久作の小説などでよく目にするフレーズです。

顔を覆わずにはいられない「ボク」

単純明解な回答 絡繰が解けた少年
「わかってよ」「わからないな」
そこに立ってるボクが言うんだ
いないいないって顔を覆って
暴いた先に視えたモノは
焦がれてた 望んだ愛情? 視界は最高かい?

出典: ドッペルアリー/作詞:EVE・ナナヲアカリ 作曲:EVE・ナナヲアカリ

単純明快な回答、それは残酷なまでの真実を言っているのかもしれません。

「わかってよ」「わからないな」という矛盾した「ボク」

「いないいないって顔を覆って」というのは、「ボク」が見えないように目を覆っているようです。

あるいは「ボク」自身を外界からシャットアウトする行動のようにも見えます。

絡繰を解いて視えたモノは「焦がれてた 望んだ愛情?」とクエスチョンマークがついてます。

「視界は最高かい?」というのは、最初のAメロの歌詞パターンとは少し違って疑問形になっています。

恋をしていつもの「ボク」ではない「ボク」を案じているのかもしれません。

2番:Bメロは「ゲーム感覚の恋愛」

ハリボテのアイは 爽快 爽快
満たされてきたの そーかい そ-かい
テンプレート 置き換えたまま
ため息つくような セリフを ひたすらセーブさ

出典: ドッペルアリー/作詞:EVE・ナナヲアカリ 作曲:EVE・ナナヲアカリ

このフレーズでは「I」ではなく「アイ」と表記されています。

ホンモノの恋愛ではないのかもしれないと思いつつそれを「爽快」と感じる「ボク」

「満たされてきたの」という言葉に適当に相槌を打つ「ボク」。

「爽快」と「そーかい」の音の類似が「テンプレート置き換えたまま」というフレーズに続きます。

「ため息つくようなセリフをひたすらセーブ」という言葉は、恋愛ゲームを連想させます。

ゲーム感覚の恋愛と知りつつも執着してしまう「ボク」へのアイロニーがそこに込められています。

それはさながらミニクイコト?

だいたいこんな感じで生きて
二人は人生の上で嗤う
心の奥底で騒ぐ 羨望/焦燥/感情線を隠して
痛い痛いなんて泣かないから
目を離さないでいてよ
それは さながら ミ二クイコトでしょうか

出典: ドッペルアリー/作詞:EVE・ナナヲアカリ 作曲:EVE・ナナヲアカリ

2番のサビのフレーズは最初とは少し違います。「心の裏側で動く」のは「 劣等/愛憎/感情線」です。

路線がどんどん増えますね。

解釈は最初と同じですが、このフレーズでは「イケナイコト」が「ミニクイコト」に置き換えられています。

いっそ消えちゃえよ 僕にまかせてな

だいすきって嘘じゃない
特にカンケイないけど
だいきらいって嘘じゃない
どうでもいいけど(笑)

出典: ドッペルアリー/作詞:EVE・ナナヲアカリ 作曲:EVE・ナナヲアカリ

最後の部分が微妙にフレーズを変えて同じメロディーが繰り返されます。

「どうでもいいけど(笑)」から「いっそ消えちゃえよ」、そして「もういいでしょ?僕に任せてな」へと。

これは影のようにつきまとう「ボク」に対する「僕」の心情の変化と捉えるのがわかりやすいかと思います。

無関心から、退場命令、そして「僕」にすべてを任せろよ、という分裂から統合に向かうプロセスです。

心が叫ぶメーデー

ねえねえこんな感じでいたら
誰も僕がわからないよ
心に刻まれたままの
羨望/焦燥/感情線を叫んで
メーデー痛くてたまらないや
目を外らさないでくれよ
これは さながら ミジメナコトでしょうか

出典: ドッペルアリー/作詞:EVE・ナナヲアカリ 作曲:EVE・ナナヲアカリ

「僕」と「ボク」に分裂し自己同一性が保てなくなっていることへの不安、恐怖が心の叫びとして表現されています。

「メーデー」というこの言葉は言うまでもなく「助けて!」という叫びです。(元々は飛行機の救難信号のこと)。

「僕」を見つめる「ボク」の視線に、もうギリギリ耐えられなくなったという叫びです。

「僕」と「ボク」が一つの僕になることは「ミジメナコト」かどうかは簡単には結論を出せない問いのようです。