この世は無常 皆んな分つてゐるのさ
誰もが移ろふ さう絶え間ない流れに
ただ右往左往してゐる
出典: 獣ゆく細道/作詞:椎名林檎 作曲:椎名林檎
まずわかるのは現代の仮名遣いではなく、歴史的仮名遣いが採用されていることです。
「さう」は「そう」と読んだり、「いる」ではなく「ゐる」という表記がされています。
特殊な仮名遣いをすることで、視覚的にも妖艶な雰囲気を醸し出しています。
そしてテーマは「無常」。
無常というのは、この世界には常に同じものなど存在しない、ということです。
世界は川を流れる水のように絶え間なく形を変えていく。
鎌倉時代にそう綴ったのは『方丈記』の作者、鴨長明でした。
およそ千年の時が経っても、この世が無常であることには変わりはない。
そして、その川の流れに翻弄されながら、私たちは生きている。
この楽曲の前提としての思想が冒頭で提示されています。
生きながら死ぬ…
いつも通り お決まりの道に潜むでゐるあきのよる
着脹れして生き乍ら死んぢやあゐまいかとふと訝る
出典: 獣ゆく細道/作詞:椎名林檎 作曲:椎名林檎
いつも通りに生活をしている中で、ふと疑問に思うことがある。
自分は確かに生きている。息もして、誰かと話して、自分の足で歩いている。
でも、「ただ」生きているだけなんじゃないか。
ただ生きているだけで、死んでいるのと同じようになっていないか。
そんな疑問をこの場面では提示しています。
飼い殺している「才能」
飼馴らすしてゐるやうで飼殺してゐるんぢやあないか
自分自身の才能を
あたまとからだ、丸で食ひ違ふ
人間たる前の単に率直な感度を頼つてゐたいと思ふ
さう本性は獣
出典: 獣ゆく細道/作詞:椎名林檎 作曲:椎名林檎
なぜ、ただ生きているだけで死んでいるのも同然、という状況に陥るのか。
それは、自分の「才能」を抑圧してしまっているからではないか。
自分のことは自分が一番よくわかっている、と人は考えます。
自分をコントロールできるのは自分しかいない。
そして、コントロールは正常に行われている、と思い込む。
実はコントロールがききすぎて、自分の持っている才能を殺している。
だったら、自分を抑圧するコントロールなんて必要ない。
自分の才能を最大限に発揮するためには、何になるべきなのか。
それが、「獣」なのです。
「死」に向かって「生きろ」!
丸腰の命をいま 野放しに突走らうぜ
行く先はこと切れる場所
大自然としていざ行かう
出典: 獣ゆく細道/作詞:椎名林檎 作曲:椎名林檎
才能を発揮するためには「獣」にならなければならない。
「獣」というのは武装することを許されません。
服を着ることもできない。理性を持つこともできない。
しかし、服や理性は、時に人を縛りつけるものになることもあります。
服で自分の存在を飾り立てたり、理性で自分の本性を押さえつけたりする。
そんな「鎖」から解放される必要がある。
「獣」となって、走る先には「こと切れる場所」つまり「死」がある。
先にある「死」に向かって、駆け抜けること。
これがつまり「生きる」ということなのではないでしょうか。
それができれば、生きながら死ぬ、などという中途半端な状況からは抜け出せるはずです。
「獣」になれ!
「安心」との訣別
そつと立ち入るはじめての道に震へてふゆを覚える
紛れたくて足並揃へて安心してゐた昨日に恥ぢ入る
出典: 獣ゆく細道/作詞:椎名林檎 作曲:椎名林檎
自分を縛りつけるものを捨てて、新しい世界を突き進むことには恐怖が伴います。
新しい土地に足を踏み入れるときは誰でもためらいを持ちます。
そんな恐怖を感じると、それまでのことに想いを馳せてしまいます。
人は「誰かと同じである」ということを保証されると安心する生き物なのです。
「他の人とは違っていたい!」とは思うけど、違いすぎると仲間外れにされる。
でも、誰かと同じであることも、自分を縛りつけることがあります。
「みんながこうやっているから、自分もこうやろう」
「みんながそれが正しいと言っているのなら、それは正しいはずだ」
このように、自分の価値観で判断すべきところを、他者の意見を模倣するだけになる。
なぜなら「安心」が欲しいから。自分がすべての責任を負いたくないから。
でも「獣」になるには、そんな偽物の「安心」とは別れなければならないのです。