歌詞1行目に登場する「鶯」とは、春の到来を告げる鳥だとされています。
卒業と聞くと、祝福のムードやめでたい気分を想起する方が多いのではないでしょうか。
しかしながら、主人公はそれすらも無に帰したいと考えています。
卒業とはそれまでの数年間が、自分にとって「過去」「思い出」へと変化する瞬間。
これまでの歌詞の内容からも、主人公の過去に対するネガティブな心情が読み取れます。
表現されているのは、一切の過去の記憶を無くしたいという強い想い。
末尾の表現が、過去形になっている点にも注目です。
これから何かアクションを起こすのではなく、既に何も無くなってしまった後の状態。
そこに残った無力感が痛ましいのです。
止まらない想い
いつになっても真っ黒のまま
反抗期だと疎まれた子供たちは復讐に走り
意味にすがる腑抜けた大人たちは歌を歌いたがる
出典: 過去を喰らう/作詞:カンザキイオリ 作曲:カンザキイオリ
子供も大人にも共通しているのは、「自分を救いたい」という想い。
目に映るもの全てを斜に構えて、どこか心を閉ざしている姿が想起出来ます。
この楽曲に描かれていることも、自分に何か意味を持たせたいという感情の行く末だと解釈します。
ここで注目すべきは「腑抜け」という意味。
自分から何もかにもが抜けきった空っぽの状態を指す言葉です。
空のバケツほど大きな音が鳴るというように、溢れ出る想いを表出したいといっているのでしょうか。
誰もかれもが、上手く生きていけていない状態が投影されています。
崩れ去っていく
若さを強いて貪る惰眠 気づけば爪が剥がれ落ちる
雨が好きだった理由も 好きな歌も忘れ去った
心に響くのは物ばかり それなのに人が恋しくって
あなたへの気持ちだけ 今も終わらないんだ
出典: 過去を喰らう/作詞:カンザキイオリ 作曲:カンザキイオリ
自分を構成してきた過去の端々が少しずつ崩れ去っていく様子が描かれている歌詞。
人から貰う「愛情」や「優しさ」すら分からなくなった現状なのでしょう。
歌詞の3行目にある「心~」というフレーズにも注目です。
伽藍洞の自分が縋りついてしまうのは、音楽や詞といった「物」だといっているのです。
そのままでは崩れ去ってしまいそうな己を、必死に留めている方法こそ「歌」なのではないでしょうか。
過去を受け入れて
大嫌いでも好きだった過去
例えば僕らが街で出会って 夢のような話を紡げたら
あなたと僕は笑えるだろうか
画面の中であなたに会えたら 思い出すのは後悔ばかりだ
今でも愛しいよ あの頃に今も戻りたいよ
出典: 過去を喰らう/作詞:カンザキイオリ 作曲:カンザキイオリ
自分から全ての物が無くなって、恨みを向けるのは過去の自分でしかありません。
それでも、いつまでも想い返してしまうのは、大嫌いだった過去の数々。
忘れたいのに忘れられないのは、心のどこかで愛している証拠なのです。
人と比べると底辺で、0よりも下だと形容できるほどに痛ましい日々だったけれど、それが自分だった。
今ここで呼吸が出来ているのも、あの日の自分を諦めなかったからなのです。
明るい未来や将来の話が出来ている自分を「例えば」と表現している歌詞1行目にも注目です。
それがあり得ない状況にあるのが現状。
毎日を這いつくばるようにして生き長らえている自分だとしても、気にかけずにはいられません。
心の奥で願う「変わりたい」
こんな大人で我慢できたら 苦しみなんて知らなかった
言葉ですべて解決するなら ここまで涙は出なかった
あなたが頭で渦を巻くから 今もこの朝が嫌いだった
大人になるのが怖かった 強くなることが怖かった
出典: 過去を喰らう/作詞:カンザキイオリ 作曲:カンザキイオリ
現状に満足することも出来なければ、何か動き始めることも出来ない自分。
変わることを恐れて、変われないことに憂いている、どちらにも振り切れない心情なのです。
そうしてこの飽和した感情を音楽や歌にしても、心を抉り取られるかのように感傷的になるばかり。
ずっと何かに縋り続けていたい、甘え続けていたいという想いがあるのです。
その深層心理に存在しているのは、実際に1人になった時に何も出来ない自分が怖いという感情。
とっくのまえから気づいている自分の弱さに、いつまでも気づいていないふりをしているのです。
1度、それに向き合ってしまえば、どうなってしまうか分からない。
大人になることが出来ないまま、いつまでも現状を引き延ばしてしまう人を「モラトリアム人間」と形容します。
ここで描かれている歌詞は、まさにその言葉が当てはまっていると解釈出来ます。
何もない人生からの脱却を心のどこかでは願っているのでしょう。