おやすみ、かみさま
僕はやさしくできないまま
おとなになって
あなたを知って
遠い朝を待つ
出典: おやすみ、かみさま/作詞:神山羊 作曲:神山羊
そんな自分自身の心に対して否定的な態度をとるわけでもなく、かといって肯定しているわけでもない僕。
相変わらず淡々とした口調で話を進めていきます。
僕は結局他人の心の痛みにも、そして自分の心の痛みにも気がつけないまま大人になってしまいました。
だからこそ2-3行目でこのように表現しているのでしょう。
そんな中で出会ったのが1行目に登場している「かみさま」。
かみさまとの出会いは僕が成長してから、つまりこうして語っている現在からそう遠くない時期でしょう。
このかみさまとはいったい誰なのか。
ここではまだ明かされていませんが、僕に大きな影響を与える人物であることは間違いなさそうです。
人間関係もうまくいかない
少し揺れた僕の心
いち、に、さん、し
数えてる間に
あいつらみんな
居なくなっていて
なんかしあわせなおとなに
なったみたいで
それをうらやましく思ったりして
出典: おやすみ、かみさま/作詞:神山羊 作曲:神山羊
人は成長する過程で、相手の心に寄り添うことを学んでいきます。
そして誰かが悲しい時は一緒に悲しみ、誰かが嬉しい時は一緒に喜ぶ。そんな力を身に着けていくのです。
多くの人が自然と身に着けていくその力が他者との絆を深める。
こうすることで人は、生きていくうえで必要な人間関係を自ら構築していくのです。
しかし主人公の場合はどうでしょうか。
自他の心の痛みに疎い僕は、誰かの心に寄り添うことができません。
かつては僕にも友と呼べる存在がいたのでしょうが、このことが原因で次第に友人達とは疎遠になっていきました。
ただ歌詞には友人達が離れていったという事実のみが綴られているだけ。
その状況に直面した僕の心情には触れられていません。
つまり相変わらず心の痛みに鈍感だということ。
友人達と疎遠になっていったことに対して何も感じていないことがわかります。
だからずっと孤独
おやすみ、かみさま
今日もやさしくできないまま
おとなになって
ひとりを知って
長い雨が止む
出典: おやすみ、かみさま/作詞:神山羊 作曲:神山羊
かつて一緒に遊んだ友人達とも疎遠になった僕。
相変わらず人間関係では悩むことばかりなのでしょう。
友と呼べるような存在は相変わらず見つかっていないようですね。
しかし歌詞最後の行、状況が好転する前触れのようにも感じられます。
雨が何かの比喩表現として用いられる際、多くは「ネガティブな感情」を表現します。
そしてそんな雨がやむことで気持ちが前向きに変化し、良いことが起こる前触れのような印象を与えるのです。
では今回のストーリーにおいて好転しうる状況とはいったい何でしょうか。
考えられるのは2つ。
まずは僕の心が変化し、他人の痛みを感じられるようになったこと。
そしてもう1つが、孤独だった僕の友人になってくれる人が現れたということです。
歌詞から考えれば、おそらく後者でしょう。
かみさまの正体
歌詞中に度々登場するかみさま。これは僕の友人ではないでしょうか。
ただし実在する人物ではありません。つまりイマジナリーフレンドということ。
僕がかみさまと会話をするのはきまって夜眠りにつく前です。
これは寝る前の挨拶をしていることからも明らかですね。
イマジナリーフレンドは想像する本人の都合にあわせて振舞います。
だから僕が話し相手を求める時間帯に登場するのでしょう。
本来イマジナリーフレンドを持つのは人間関係を学んでいる最中の小さな子どもです。
つまり大人になった僕がイマジナリーフレンドを持っていることは非常に珍しいということ。
これはつまり、それほど人間関係がうまく構築できていないことを意味しているのでしょう。
かみさまと分かり合えないのは
関係性の変化?
きっと日常はいつも鮮明で
言葉にするより残酷だ
格好付けるのにはもう遅いし
傷つける側になりたくないよ
少しずつ手を離して
少しだけ前を向いた
まだあなたのゆめをみる
出典: おやすみ、かみさま/作詞:神山羊 作曲:神山羊
歌詞1-4行目から、僕がこれまでにない心の動きに向き合っていることがわかります。
実はイマジナリーフレンドの中には、時に自分自身のネガティブな部分を写し出すタイプがいるのです。
もしかするとかみさまはふいに、僕のダメなところを突きつけてきたのでしょう。
となればこの時点で僕は、かみさまを「傷つけてくる敵」と認識したかもしれません。
もうわかり合うことなんてできない。5行目で手を離したのはこういった理由からだとも考えられます。
ただこの時点での大きな変化は、少なくとも僕が神様に対して嫌悪感を抱いたということです。
これまでは何があっても淡々としており、心の痛みなど感じることがなかった僕。
しかしここからは明らかに、これまでとは違った心の動きが読み取れるのです。
つまりこれは、僕が少しずつ「心の痛み」を理解し始めたということ。
そうなればイマジナリーフレンドの役割は終了です。
かみさまに依存することなく生きていく決意が固まったのでしょうか。