記憶媒体が身近になり、手軽に写真を撮って消して撮り直してアップして。
そんな作業が簡単にできるようになった昨今。
写真1枚あたりにかける思いや、失敗しないように撮ろうという気概が無くなっています。
だからこそ、何枚も何枚も気にせず撮影してしまう。
気軽にたくさん撮って、大量の写真から選定して、加工してアップするという膨大な作業。
目的は『たくさんのいいね!をもらうために、その写真を撮ってアップすること』。
ただそれだけです。
だから、その場を楽しむとか、その食べ物を味わうとか、そういった思い出作りに対しては興味が薄い。
その結果、写真に撮って満足して記憶に残らないのです。
「前に行ったあのお店の料理美味しかったよね」
そんな会話に対して返答しようとすると、カメラのライブラリから写真を探して、それを見てから思い出す。
その時、味や香り、食感という記憶については、かなり曖昧になっていると思います。
なにせ、撮ることに必死なのですから。
綺麗な写真や動画を簡単に残せて、簡単に見返せるのが当たり前になり過ぎている。
手軽にいろんなことができてしまうという便利さの裏に潜む大きな闇に切り込む歌詞ですね。
その一瞬を身体で味わうことの素晴らしさ
『今』にもっと目を向けていく大切さ
早くしようぜ! (早くしようぜ!)
飯食おうぜ! (飯食おうぜ!)
肉の脂身 (肉の脂身)
熱いうちに 冷めちまう前に
出典: カメラを止めろ!/作詞:関取花 作曲:関取花
料理が冷めないうちに、そしてその料理に対する思いも冷めないうちに食べようよ!
そういうこと伝えようとしているサビの部分。
『脂身』は熱すると溶け出し、冷えると固まってしまいます。
その素材が最も美味しい状態を維持できる時間は短いのと同じく、人の心も良い状態を保つ時間が短い。
ここでいう『良い状態』というのは、『楽しい』とか『幸せ』といった内容です。
だからこそ、『今』を大切にしよう、という比喩ですね。
集団心理に潜む罠
アップするのはあとでいいじゃん…
ちょっと待って アップだけさせて
一分で済むから許して
馬鹿言うなよ! (馬鹿言うなよ!)
だいぶ待ったぞ! (だいぶ待ったぞ!)
出典: カメラを止めろ!/作詞:関取花 作曲:関取花
撮るだけかと思いきや、さらにアップロードまでしたいと言う始末。
自分本位で、協調性や人を思いやるということが欠如気味な最近の心情を風刺しています。
たかが一分。されど一分。
本人には必要なその一分が、周りにとっても有意義なのかどうか。
そういうことを考え直そうよ、という思いが詰まっています。
至極当たり前ではあれ、なかなか言えないことです。
人は一人で生きているわけではないのですから。
周りとの協調を大切にしていきたいという願いも込められています。
みんなやっているとかどうでもいいから…
ちょっと待って イライラしないで
みんなやっていることだって
馬鹿言うなよ! (馬鹿言うなよ!)
俺はやらんよ! (俺はやらんよ!)
出典: カメラを止めろ!/作詞:関取花 作曲:関取花
『周りもやっているから自分もやって当たり前。何も悪くない。』
こういった部分では周りに合わせようとする気概は見えますが、集団心理的な部分ですね。
日本人にはありがちです。
子供の頃もよく言っていましたね。
「学校の友達みんなが持っているから私も欲しい!買って!」
それと同じ感覚でしょうか。
この2コーラス目のAメロで伝えたいこと。
それは『周りがやっていることに便乗するのはいいけれど、迷惑をかけないように』です。
常に周りに気を配って、自分本位ではなく、みんなのための行動を心掛けよう。
古来日本人が大切にしていた、思いやりの精神に立ち返ろうという想いですね。
写真は真実を写さない
味は加工できない
いいか画面越しじゃ伝わらないんだ
旨味それは 色味じゃないんだ
わかるだろ さあ
出典: カメラを止めろ!/作詞:関取花 作曲:関取花
上述の通り、綺麗に撮った写真を見ても味はわからないという意味ですね。
しかも、綺麗に見えるように加工された写真。
もはや昨今の写真は『真実を写すもの』ではなくなっています。
それを仕事にしている人なら話は別ですが、そうではないならまずは味わおうよと。
まずは身体で感じようと。
そこまでハッキリ言わないとわからないのかい?と言わんばかりの表現です。