自分以外の周りの人々を見るだけで、溢れてくるのはネガティブ感情ばかり。

己の弱さを感じながらも、ひたすらに自分を愛せられる日を待ち続けているのです。

カンザキイオリが織りなすキャッチーなメロディーと、花譜の陽気な歌い方。

それと相反するように紡がれた自身の想いを乗せた歌詞のギャップが痛ましいです。

この対比も、実際の心と振る舞っている心を表しているかのよう。

すぐそばにいるはずの自分が、遠くに感じてしまい、どうしようもないのです。

描こうとしている理想像は、自分自身に邪魔をされ続けてしまっているのです。

その裏腹な想いの交錯こそが、青年期特有の心理状態であり、多くの共感を呼んでいるのでしょう。

大衆を嫌悪している自分もまたその一部

流行りを嫌って

ハチ公前の溜まり場で
ネタを探してるYouTuber
お決まりみたいに現れる
お化粧バッチリ女子高生

流行りのファッションどーだい?
一昔の見た目で Don't STOP!
にっちもさっちも
量産型のエモさが売りに出てます

出典: 私論理/作詞:カンザキイオリ 作曲:カンザキイオリ

ここで示されているのは、時代の流れに乗ったいわゆる「イマドキ」の人々です。

トレンドに乗ったファッションや行動をしている状況そのものを揶揄しているのです。

そんな人たちにネガティブな感情を持ってしまうのは、自分だけが置いて行かれたことによる劣等感なのでしょう。

流行に乗ることで、人々は互いに似通ったシルエットを持つようになります。

皆が同じ顔をしている環境を「量産型」といって必死に皮肉っている主人公の姿が投影されているのです。

深層心理にあるのは、自分は他とは違うという意識。

自分だけは特別なんだという想いが募れば募るほど、世の中を斜に構えた目線でしか捉えられなくなります。

自分もまた嫌いな人間

夢を追って現れました
今日と違う明日へlet's go!
「誰にもないスタイルを目指して
遥々やってまいりました」

そのファッション知ってるよ
No. 1を目指してもKIDS!
皆心は1つさ だから私と踊って?
1人は嫌

出典: 私論理/作詞:カンザキイオリ 作曲:カンザキイオリ

歌詞前半に描かれているのは、新しい世界を切り開こうとしている自分自身の客観描写だと解釈します。

そして歌詞後半では、それをひたすらに否定しているもう1人の自分。

「人とは違う」という意識すら、そもそも大衆に蔓延っている普遍的な思想なのです。

自分を客観視することで気づいたのは、そこら中に歩いている1人になんら変わりないということ。

虚勢を張って、作り上げてきた自分も結局は何にもなれず、理想とする幸せは遥か先なのです。

段々と自信を消失していく主人公。

自分という枠組みの中で争い合う感情の波に押しつぶされそうになっているのです。

しかしながら、誰かに助けられるわけでも、自分が助けを求めることも出来ないジレンマに悩まされています。

独りで先の見えない道を進む

迷える子羊

言葉じゃないって笑って
皆味方さ都会のジプシー
でも誰もが孤独でリスキー
悩みぬけ誰もがオンリーワン
ただロンリーワン
今は今はスクランブル

出典: 私論理/作詞:カンザキイオリ 作曲:カンザキイオリ

そうして頭の中で広がる煩悩の果てに1つの解答が浮かび上がります。

それは、自分が勝手に敵対してきた周りも、同じ状況であること。

皆が孤独のままに、何者かになろうと、幸せや理想を掴み取ろうとしているのです。

歌詞にある「ジプシー」とは、放浪者という意味。

まさしく、都会の波に飲まれている行き場の無い人々を比喩しているのでしょう。

その複雑な想いは、まるでスクランブル交差点のように入り組んでいるのです。

踏み出す1歩が正解か不正解かも分からないまま、小さな可能性だけを信じて進み続けるのです。

未来に向かって

立ち止まったって分からないわ
引き裂かれたって分からないわ
バズった妄想でもう
摩天楼に溺れる風になる

この街にHello 寂しさにHello
幼気なステップ 噛み締めてハロー
今は今はこの場所で待ってる
会いに来て!

私 論理 論理
私 ロンリー ロンリー

出典: 私論理/作詞:カンザキイオリ 作曲:カンザキイオリ

先が見えないからといって、何もしないままでは、幸せを掴むことが出来ません。

そして、闇雲に進んだ先で、何度失敗してしまっても諦めることも無いのです。

頭の中に広がっているのは、自分の未来の理想像

何処までも伸びるように生き生きと進む姿こそ、まさに「」と形容できるポジティブなイメージなのです。

そして中盤の歌詞「幼げ~」では、青二才な自分を受容しようとしている心情を読み取ることが出来ます。

孤独に真っ暗な道を進み続けること、それこそが主人公の生き方であり、自分自身の論理なのです。

自分の理想として掲げている幸せを掴むまでは、孤独で憂いている厳しい道のりなのでしょう。

私たちは今日も、いつか笑える日の為に茨道を歩いていくのです。

終わりに