生まれ変わって別の人になりたいという願望はありがちかもしれません。
しかし「新しい場所で自分になりたい」というのがこの曲のテーマです。
そもそも「自分」を俯瞰する「もう1人」がいるということ。
本当の自分に辿り着きたい。
そんな期待を抱かせる場所があることに困惑しつつも、踏み出した一歩。
もう後戻りはできません。
新たな「自分の世界」で、せっかく手にしたチャンスを逃すまい。
そう強く決意しています。
あの坂の先に待つもの
2人称は誰?
あの坂の意味が
私に分かる時だって
あなただけがいいなって。
出典: 1997/作詞:たかはしほのか 作曲:たかはしほのか
たかはしほのかさんの独特な世界観はさらに深化を極めます。
一般的に2人称は「向き合う他人」。
ただ、そもそも「もう1人の自分」がいたり、新たな場所で誕生月が消えたりしています。
その点を踏まえると、ここでは「もう1人の自分」が「本当の自分」に向かって呼びかけている。
そう解釈するのが妥当でしょう。
つまり「あの坂」の先に待っていたのはやはり「自分自身」という話です。
どうしても自分のことが好きになれないから、他の誰かになりたい。
こうした一般的に想像しやすい考え方ではないところが、彼女の魅力。
まだ到達していなくても、自分の中には愛する自分像があるわけですね。
なりたい自分、自分らしい自分。
こうした表現に近いかもしれませんが、それだけでは繊細なニュアンスは伝わりにくいはずです。
その辺りまでひっくるめて2人称で表現しているのではないでしょうか。
理想とする「自分の世界」に行きつく前に、平坦ではない道があった理由。
それを理解する頃には「自分自身が完全に納得できる自分」でいたいと解釈できます。
寂しくても大切なもの
最終列車飛び乗って
孤独だった世界で
片道切符を失くさないように
出典: 1997/作詞:たかはしほのか 作曲:たかはしほのか
「自分の世界」の検証とは、自分と向き合うことに他なりません。
ひとりぼっちのような疎外感があるから、「理想の自分」を2人称で呼んでいたとも考えられます。
それでも「過去には戻れない」という決意と、「自分の望む自分」になるチャンスがあるわけです。
それは急な道を乗り越えたおかげ。
どれほど寂しくても、この有難い事実を大切にするという話でしょう。
私の世界の実験の結末
同じ年生まれの仲間
1997年の友達を集めて
チョークの粉を集めた
何をしているのかなぁ私たちは
出典: 1997/作詞:たかはしほのか 作曲:たかはしほのか
「ひとりぼっちだった世界」という前フリがここで効いてきます。
それなら親しい友人はいないはず。
ところが同じ年生まれの仲間を呼び寄せたという展開になっています。
急な道を渡ったことで「もう1人の自分」になった主人公。
その「もう1人の自分」が「過去の自分」と向き合ったと考えると、納得できるのではないでしょうか。
特に教室での思い出、学校に通っていた頃について回想しています。
白墨のパウダーを「学校時代の思い出」に例えているのでしょう。
童心に返って遊んでいる感じもしますが、たかはしほのかさん自身にとっても意味不明な行為のようです。
音楽は涙の結晶
催涙弾で流した涙が
光の反射で集まった
人々は目を眩ませた
私は泣くことしかできなかった
私は泣くことしかできなかった
出典: 1997/作詞:たかはしほのか 作曲:たかはしほのか
物騒な言葉が出てきましたが、これは白墨のパウダーのことでしょう。
黒板の粉受けや黒板消しから飛び散ったパウダーが目に入ると涙が出ます。
その涙が輝いたことで、冷静な判断ができなくなる人が続出したようです。
しかし歌物語の主人公は涙を流す以外にできることがなかったという結末。
さて、どのような意味でしょうか。
恐らく「現在の自分」が「過去の自分」を思い出すことによって涙があふれ、音楽が生まれたということ。
つまり涙の結晶が音楽です。
その輝きに魅せられた大勢の人が音楽を聴いて困惑したという話でしょう。
それでも涙を流しながら音楽を生み出すことしかできなかったわけです。
たかはしほのかさんが紡ぎ出す独特な世界観に驚きながらも、音楽に魅了された方が多いのではないでしょうか。