「子どもができたって聞いたよ

男の子かな 女の子かな

祝うためのお金も包めないよ

本当に迷惑ばかりかけやがるのさ」

おめでたいお話なのですが産まれた子の性別も分かりません

孫の顔を見たいという親の思いを何としても叶えてほしいのですがオレはスマホさえ持っていないかも。

子どもをアメリカ合衆国で産んだということはもうあちらで骨を埋める覚悟しているはずです。

長女の幸せは嬉しいですがやはり便りが少ないことが親にとっては心の傷になってしまいます。

吉幾三は執拗に青森県を出ていった子どもたちの不義理を歌い上げるのです。

こうしたラインの本当の意義はもう少し後で明らかになるでしょう。

孫が産まれて嬉しいけれども遠いアメリカ合衆国。

オレがアメリカ合衆国に渡って孫の顔を見るという発想は登場しません。

あくまでも津軽にこだわるオレの姿が徐々に鮮明になってゆくのです。

青森県という土地に住んでいる人は北海道に渡るのをためらった人たちだ

これは日本の元祖パンクスでありフォーク歌手・詩人である三上寛の言葉です。

三上寛も青森県の出身ですが早くに小泊村という故郷を後に東京へ出てきました。

ただ彼はその歌詞の中で青森県のことを歌い続けます。

年に何回か帰郷するので不義理な息子世代とは一線を画するのです。

北海道へ渡るのをためらった人の末裔である吉幾三は自分の生まれ故郷にこだわります。

海を渡るのをためらう感性が、ここでアメリカ合衆国に訪れる気にならないオレを支えているのです。

方言とは血液のようなもの

津軽伝統の言葉遊び

吉幾三【TSUGARU】歌詞の意味を徹底解説!なんて言ってる?日本語ラップ元祖が放つ熱い「青森」とはの画像

喋れば 喋たって 喋られる
喋ねば 喋ねって 喋られる
喋れば いいのが 悪いのか
喋ねば いいのが 悪いのか

出典: TSUGARU/作詞:吉幾三 作曲:吉幾三

「しゃべると『しゃべるねえ』といわれるし

しゃべらないと『しゃべろよ』といわれるわ

しゃべった方がいいのか悪いのか

しゃべらない方がいいのか悪いのか」

サビの歌詞になります。

聴いていて理解を拒む自分に気付くほど難しく聴こえるでしょう。

それでも頑張って理解することが大事かもしれません。

このラインには実は大して意味がないというからさらにびっくりさせられます。

調べてみるとこれは津軽弁での言葉遊びだそうです。

早口言葉のような言葉遊びですので深い意味を探ろうとしても壁にぶち当たります。

それよりも津軽弁に宿ったリズムやビートを感じて欲しい。

それが吉幾三の思いでしょう。

これほどラップによく合う日本語もないと津軽弁を推しまくるのです。

吉幾三の津軽愛がよく表れた歌詞でしょう。

津軽の言葉は津軽の血

吉幾三【TSUGARU】歌詞の意味を徹底解説!なんて言ってる?日本語ラップ元祖が放つ熱い「青森」とはの画像

春夏秋冬 知ってっか!
花咲き 佞武多に 紅葉と
雪降る 厳しい 四季感じ
生きてる事を 知ってっか?

Hey Hey Hey…
津軽の言葉を なめんじゃねェ!!

出典: TSUGARU/作詞:吉幾三 作曲:吉幾三

息子が出ていった先の東京は地球温暖化のせいで四季がなくなりました。

もう「二季」と呼ぶしかないような風情も何もない過酷な気象状況です。

しかし青森県にはまだ四季がしっかりあります。

青森県の四季はすごく不思議です。

夏の青森県では紫陽花と紅葉を同時に見ることができます。

四季といっても日本の各地方それぞれ同じ姿ではないことを知ることができるでしょう。

春には桜を見ることができる。

夏には五所川原立佞武多(ごしょがわらたちねぷた)という祭りで青森県全体が盛り上がる。

秋に紅葉が見事で冬はご存知のように雪が積もる。

こうした自然の営みを基礎にして人間生活が繰り広げられます。

人間の事情を最優先にして自然の営みを破壊した結果が地球温暖化です。

生き方というものの根幹に関わることが都会と地方ではまったく違うのでしょう。

その自然はやはり厳しいものだと吉幾三は告白します。

しかしそうした自然との共棲こそが人間が生きる意味を思い出させてくれるのでしょう。

リスナーは「TSUGARU」と津軽に惹かれだします。

津軽弁は青森県で生きる人の血なのでしょう。

かつて秋田県出身のフォーク歌手である友川カズキに大島渚が訊きました。

君は訛りを直すことはできないかな

大島渚は映画「戦場のメリークリスマス」のキャストに友川カズキを誘っていたのです。

しかし友川カズキはこの誘いを断りました。

言葉というものは自分の血液でしょ。血液を取り替えるなんてできないじゃないですか

この友川カズキの言葉は吉幾三の「TSUGARU」にかける思いを見事に代弁しています。

日本全国その土地々々の言葉・方言はその言葉を使う人の血液なのです。

決して侮辱したり茶化したりしていいものではありません。

津軽の風土記

医者がいるだけマシかも

吉幾三【TSUGARU】歌詞の意味を徹底解説!なんて言ってる?日本語ラップ元祖が放つ熱い「青森」とはの画像

「なんぼでも降るだね 夕(ゆ)べながら
どこさも行けねじゃ こいだばや
スベっておけたネ あの橋で
おどげ欄干 ぶつけたネ

なじきどどんじさ イボ出来て
今から行ぐだネ 医者コサな
何だか知らねじゃ 夕(ゆ)べながら
痛(いだ)くてまねはで 行て来るじゃ

出典: TSUGARU/作詞:吉幾三 作曲:吉幾三

「いくらでも雪が降るね 昨日の晩から

どこにも行けないわ こんな感じじゃ

滑って転げたよ あの橋でさ

一昨日は顎を欄干にぶつけてしまったよ

額とお尻にイボができちゃって

今から行こうと思うんだ 医者にね

何だか分からないけれど 昨日の晩からさ

痛くてかなわないから 医者に行ってくるわ」

津軽の冬は厳しいでしょう。

豪雪地帯といっても過言ではありません。

一晩中降りしきる雪が明けた日の昼間になってもやまないのです。

親世代は足腰が弱くなってくる頃でしょう。

雪に足を取られて滑り転がります。

橋の欄干でしょうか手すりに顎をぶつけてしまうというのですから生命を落としていたかもしれません。

津軽の冬を乗り切ることの大変さを歌うのです。

続く箇所は「なじぎ」とありますが「なずぎ」という表記もありえます。

標準語では額やおでこという意味です。

「どんじ」も「どんず」という表記もあるでしょう。

こちらは標準語でお尻という意味になります。

どちらの表記を採用するのか、実はしゃべっているひとも分からないのかもしれません。

ひらがなでの表記は音韻に頼りますので人によって書き起こすと違いがあるのかも。

元来、方言を書き文字に置き換えることは基本的に難しいのでしょう。

イボは標準語のイボなのが不思議です。

青森県では医者がいない「無医村」が増えて深刻な問題になっています。

町や村が破格の報酬を用意して医者を募集しても誰も来てくれないというニュースが新聞に載りました。

オレには通える医者があるだけまだ良かったと思う次第です。

モツ食文化でお祝いしよう

吉幾三【TSUGARU】歌詞の意味を徹底解説!なんて言ってる?日本語ラップ元祖が放つ熱い「青森」とはの画像

よろたとひじゃかぶ おたてまて
そごらも医者コさ 診(み)でもらて
湯コさも入って来るだネ 今日
晩(ばん)げには戻るネ 家(え)さ来(こ)なさ

もやしとネギへだ モツ喰(く)べし
一杯(いっぺぃ)やるべし 今夜(こんにゃ) 今夜(こんにゃ)!
あぱだきゃ居ねね 誰(だ)も居ねね
電話コかげるネ 戻ればなー

出典: TSUGARU/作詞:吉幾三 作曲:吉幾三

「太ももと膝の調子が悪いから

ついでにその辺りも医者に診てもらうわ

温泉にも入るんだよね 今日は

晩には戻るからね 我が家へ来なよ

もやしとネギでモツ鍋をつつこう

一杯やろうぜ 今夜はさ

嫁さんはいないからね 誰もいないのね

電話をかけるね 戻ってきたらばね」

ひらがな表記だけですとオノマトペのようでまったく意味が掴めないでしょう。

Webに津軽弁の単語の意味を対訳しているサイトがありますので探してみてください。

「TSUGARU」では収めきれない不思議な響きの言葉の数々に驚かれるはずです。

オレは何にしても医者に診てもらわないと心配な歳頃なのでしょう。

この時期は雪が降っている世界ですから医者にゆく途中でまた怪我などしないように願います。

青森県は温泉も多いです。

湯治という習慣も根付いているのでしょう。

しじみラーメンなど食文化でも名物が多い土地柄。

特にモツ食文化は津軽の特色でしょう。

青森県といっても地域差があるようですがお祝いごとの際にモツを食する習慣があります。

焼き肉よりモツ焼きが基本なようです。

モツとお酒の相性はかなりいですからこの宴に招待されたいと思ってしまいます。

肉類だけでなく海産物も新鮮かつ豊かなのでぜひ青森県を訪れてください。

このラインで自分の豪邸に招待してくれている吉幾三に後光が射しています。

お嫁さんの留守のうちに男たちだけで酒と肴を楽しむ文化は日本全国共通かもしれません。

お願いですからお嫁さんを邪険に扱わないでください。

標準語だって元は方言