吉幾三【TSUGARU】歌詞の意味を徹底解説!なんて言ってる?日本語ラップ元祖が放つ熱い「青森」とはの画像

喋れば 喋たって 喋られる
喋ねば 喋ねって 喋られる
喋れば いいのが 悪いのか
喋ねば いいのが 悪いのか
今なら会えるし 帰んなヨ
季節は自然に 待っている
何年 ふるさと 背を向ける
そのうち絶対 バチあたる

Hey Hey Hey…
生まれた津軽を なめんじゃねェ!!

出典: TSUGARU/作詞:吉幾三 作曲:吉幾三

リフレインを含みます。

またほぼ標準語と変わりがない箇所ですので訳出は割愛しました。

原文を噛み締めてください。

そもそもこうした方言を含んでこその日本語なのですから。

日本は狭い国土の中に様々な方言があります。

封建時代の藩単位で閉鎖的な暮らしをしていたからかもしれません。

また今の標準語になっている江戸弁だって方言でした。

元々の大和言葉がどのようなものであったのかは研究家に任せます。

地域だけでなく時代や歴史によっても言葉には違いが生まれるのです。

吉幾三はここで津軽を去った人々に釘を刺します。

去っただけならばまだいいのですが帰郷する習慣を持たない人へ注意を投げかけるのです。

太宰治は津軽の豪農の家に生まれて上京しました。

東京で面白おかしく、しかしときに悲惨な暮らしを送るのです。

そんな太宰治も「津軽」という風土記を書きました。

旅行記というか帰郷を記したものなのですが小説のような味わいがある絶品です。

太宰治のような破天荒な人物でも帰郷をしました。

吉幾三は一度、津軽に戻ってこいと歌います。

少しの期間でもいいからふるさとというものに触れて欲しい。

それはあなたが生まれ育った土地であり、血にも関係する大切なものだと知って欲しい。

このことをなめてかかる人は生きていることそのものの奇跡に気付いてないのではないか。

吉幾三の想いは津軽だけに限らず、故郷を持つすべての人に届けられました。

津軽の魅力に酔う

食べ物も地酒も美味い土地

吉幾三【TSUGARU】歌詞の意味を徹底解説!なんて言ってる?日本語ラップ元祖が放つ熱い「青森」とはの画像

青森 弘前 五所川原
八戸 むつに 鰺ヶ沢
喰うもの美味(めべ)し 酒コまだ
三方海コさ 囲(かご)まれて

そいでも出でゆぐ 馬鹿コ居る
戻って来ねねろ わらはんど
帰ればお土産 もだへでや
来る時毎日 喰った事ねェ

出典: TSUGARU/作詞:吉幾三 作曲:吉幾三

「青森 弘前 五所川原

八戸 むつと 鰺ヶ沢

どこも食べ物が美味しい さらに酒も美味い

東西北、三方が海に囲まれている

それなのに津軽を出てゆくバカな奴がいる

戻ってこないんだ 若者たち

帰るときはお土産を持たせるのに

来るときは毎度何も食べたことがない」

青森県には見どころがいっぱいあります。

一度や二度の訪問じゃ名所を見きれません。

また名所にこだわることなく何となく訪れた町や村の自然が素晴らしいです。

食べ物は何でも美味しいし、米どころですから日本酒の酒蔵もいっぱいあります。

名物もいっぱいあるのに中々訪れる人が少ないかもしれません。

本州の最北端ですが、どうせ北に行くのならば北海道へ行ってしまう。

しかし北海道に渡るのをためらった人たちが作った文化も興味深いものなのです。

北に津軽海峡があれば、西には日本海、東は太平洋があります。

豊かな漁場が各所にたくさんあるのです。

食文化について考えると住んでいて文句はないはずですが若者のための働き口がないのでしょう。

東京一極集中はますます進み、それにつれて地方の過疎化の問題が生まれてしまいました。

この問題はあまりに深刻すぎます。

解決策については首都機能の移転などをしないといけないのですが肝心の政治が動きません。

少子化も地方の過疎化も格差社会による貧困もただ眺めているだけの為政者。

私たち個人の力では解決しようもない問題のために政府があるはずなのにまったく無策です。

若者たちや子どもを詰るよりも大切なことは「TSUGARU」のように青森県の魅力を語ること

それが大事だと吉幾三は気付いたはずでしょう。

ひとりのアーティストが社会問題に対してできることは限られます。

それでも自分なりに何か表現できないかと考えるのがアーティストの本分なのです。

誰しも老後の蓄えが心配で

吉幾三【TSUGARU】歌詞の意味を徹底解説!なんて言ってる?日本語ラップ元祖が放つ熱い「青森」とはの画像

菓子だきゃ要らねじゃ 銭(じぇん)コけれじゃ
田畑 山林 どしたばや
死んだら売るだべ 何(な)もやねじゃ
100まで生きるだ! 何(な)もやねじゃ

化げて出てやる 死んでから
枕元(まくらもど)さ 立ってやる
覚えておがなが このわらし
お前(め)だち年とりゃ 同じだネー

出典: TSUGARU/作詞:吉幾三 作曲:吉幾三

「菓子などいらないから金をくれ

田畑や山林はどうしたの?

死んだら売るだろう 何もやらないわ

100歳まで生きるよ 何もやらないよ

化けて出てやるさ 死んでからね

枕元に立ってやる

覚えておけよ 子どもども

お前たちも年を経れば同じだね」

子ども世代に恨み言をいうオレのおしゃべりです。

老齢年金だけでは食べて行けない現実があるのでしょうから現金が欲しいのかもしれません。

所有している田畑や山林を息子世代には残さないのです。

持っている財産を崩しながら100歳まで生き残るための算段をします。

恨み言はさらに恐ろしくなるのです。

お前の枕元に立ってやるから覚悟しろとまで歌います。

そしてそっと自分の子ども世代に忠告するのです。

お前だって年寄りになれば分かるよ、どれだけ悲惨なことなのかと歌います。

100歳の親の息子世代はすでに後期高齢者になっているかもしれません。

世代が替わるごとにもっと暗い未来しか約束されていない気がします。

オレの子ども世代は彼らなりに苦しい現実を背負っているのです。

さらに孫世代が大人になる頃はどのような社会になっているでしょうか。

アメリカ合衆国にいる孫は幸福かもしれません。

日本で生まれた孫世代に明るい未来があるかどうか。

これは私たち自身が責任を負っている問題でしょう。

少しでも幸福な未来を手渡したいのですが正直なところ自信はないです。

永遠の「TSUGARU」

安心して帰郷できる労働環境を

吉幾三【TSUGARU】歌詞の意味を徹底解説!なんて言ってる?日本語ラップ元祖が放つ熱い「青森」とはの画像

喋れば 喋たって 喋られる
喋ねば 喋ねって 喋られる
喋れば いいのが 悪いのか
喋ねば いいのが 悪いのか
幸せなんだと 思うなら
産んだ両親 会いに来な
何回 あんたも 顔見れる
19や20才(はたち)の ガキじゃねェ

Hey Hey Hey…
青森全部を なめんじゃねェ!!

出典: TSUGARU/作詞:吉幾三 作曲:吉幾三

ようやくクライマックスになります。

ヒッピホップは歌詞の情報量が半端ないですからここまでお疲れさまです。

いよいよ吉幾三の最後の叫びがスパークします。

涙なくして読めません。

自分の現状を幸せだと思うならば自分を生んだ両親に会いに来い。

この先、お前の顔見られる機会はどれほどだろうかと嘆きます。

そしてもうガキじゃないんだからそういう大切なことは自分で気付けと釘を刺すのです。

実際、親と遠く離れていると「ああ、この先、父や母と何回会えるんだろうか」と思います。

そう思ったら実際に休みの日に親元に顔を見せてあげて欲しいです。

親が亡くなってから後悔する羽目になります。

子どもの頃、無条件で愛してくれた親とも疎遠になってしまう。

社会で生きてゆくには親元を離れて仕事口を探さなければいけません。

また自分も家族を持ち、子どもを育て家庭を築くようになります。

自分の家庭のことだけで汲々となりがちでしょう。

そうなると親との紐帯を忘れてしまわないと日々の生活を送れないのです。

やはり欧米のように誰でも長期のバケーションが許される社会になる必要があるはず。

ゴールデンウィーク、盆休み、正月休み。

祝日・休日は年々増えていますが、もっと連続して休める日が増えないと先進国といえないでしょう。

日々の労働時間も短縮されるべきです。

ブラック企業は減少傾向にあります。

それでもさらに労働条件の改善がなされないと安心して帰郷ができません。

吉幾三はこうした問題については捨象します。

1曲の作品でいえることは限られているからです。

しかし「TSUGARU」の中での嘆きを解消するためには個人の努力だけでは足りないと気付くでしょう。

社会の舵取りは主権者の私たちに任されています。

遥かなる故郷と東京と

TSUGARU

1番から3番まで歌詞を見てきました。

まず吉幾三は聴き取れないよと私たちに忠告していました。

それでも一応、ここまで読み解くことができたのです。

すべての歌詞を読み終えて久しぶりに自分の故郷を思い出してもらえたら嬉しいもの。

帰郷して親の顔を見る、親に顔を見せることの大切さを学べたでしょう。

故郷の過疎化・貧困化の問題は自分の血に関する問題であることを感じられます。

私たちの列島は末端まで血液がめぐっていないようなのです。

しかしそうした末端にある故郷は実は豊かな自然の宝庫であることも歌われています。

自然に合わせて人間が暮らす生活と土地を私たちは不便の一言で捨て去っていいのでしょうか。

不便さを嫌って逃げ込んだ東京の夏の過酷さ。

地球温暖化やヒートアイランド効果で東京の夏は実際に人を殺します。

地球規模の大きな自然の変動によって大都会・東京も生きにくい土地になりました。

それならば生まれ育った土地に戻って自然と共存する道を探ってみてもいいかもしれません。

地方に雇用がないのが深刻な問題ですが、故郷に人が戻ってくれば仕事口は増えるでしょう。

東京こそが大事なのかという問いもしなくてはいけません。

この深刻な問いを提示したのは「俺ら東京さ行ぐだ」で天下を獲った吉幾三です。

元々、「俺ら東京さ行ぐだ」自体が逆説的な内容を含んでいました。

35年を経て発表された新たなヒッピホップ「TSUGARU」と問題意識が近いのです。

常に田舎をなめるなよ、東京だけが至上の価値じゃないと歌い続けてきたのかもしれません。

「雪國」などの大ヒット曲もふるさとへの深い想いが込められているのですから。

私たちは「TSUGARU」の中に故郷の光と翳りの両方を見つめます。

そしてそこには生んでくれた親の顔が重なるのです。

あと何回、親の顔を見られるのか。

それは私たちの血に問われた大切な事柄であり、否応なく心を掴まれます。

分かってみたらどこまでも深かった吉幾三の「TSUGARU」。

今夜、遠く暮らしている両親に電話やメール、LINEをしてみてください。

自分にとって故郷とは何だろうという問いは、東京とはどの程度のものだろうという問いと対なのです。

ここまで読んでいただいてありがとうございました。