エレファントカシマシ「RESTART」とは?
「RESTART」は2017年11月8日に発売されたエレファントカシマシの50作目の両A面シングル『RESTART/今を歌え』に収録された楽曲です。
2017年9月9日から10日に放送された「FNS27時間テレビ にほんのれきし」の中の時代劇ドラマ企画3本の主題歌として書き下ろされました。
ボーカル兼ギターの宮本浩次さんは、この企画を聞き、個人の生きた人生が歴史となると考えたとか。
そんな本作はとてつもなく個人的でありながら普遍的、そして一人の人生の歌でありながら壮大な宇宙のパワーのようなものさえ感じさせられる一曲。
まずは、MVから見ていきましょう!
宮本浩次が自ら髪を切る?!「RESTART」のMVをチェック!
今回のMVは、監督を務めた丹修一さん、そして、宮本さんで一緒に人物の設定を作っていったそうです。
そして、できた人物が宮本さん自身が演じる一見普通のサラリーマン。
しかし、胸の中にはロックスターになりたいという絶対的な願い、夢がある。
彼の心の中にある理想の姿だと思われる演奏シーンでは、今は亡き忌野清志郎さんを思わせる派手なメイクに服装で「RESTART」を歌い上げています。
中学生の宮本さんが忌野清志郎さんに憧れたように、強く強くロックスターを夢見る男。
そして、曲の最後では長かった髪を自ら切ってしまうのです。
「ここからがRESTART」という歌詞の通り、男は日常を飛び出して再び夢へと歩き出すことを決めたということですね。
男は架空の人物ですが、宮本さんが髪を切ったのは本当です。
短くなった髪もかっこいいと評判でしたね。
エレファントカシマシ 「RESTART」の歌詞を解釈!
侍の精神なんてとうの昔に滅びて、夢見る心なんて若い頃に失って
俺は日本生まれの 夢見る男
胸には理想が渦巻き 見上げる空はどこまでも高かった
傷つき悩み幾年(いくとせ)おとぎ話のページを繰るように
我が来し方を思った そして今朝の空を占いじみた目で見上げた
出典: RESTART/作詞:宮本浩次 作曲:宮本浩次
日々の中で本来の自分を見失っているのではと思い当たった「俺」が子供の頃に読んだ絵本を開くようにアルバムをめくって自分の人生を回想しているのがこの歌い出しの歌詞ですね。
振り返れば自分が侍のように志を胸に夢を見る男だったのは遠い昔の話になってしまった。
年を重ねるうちに挑戦しては成功失敗を繰り返して、様々な人と出会い別れては傷ついて悩んで来たのでしょう。
「来し方」とは過ぎ去っていった時間のこと、要するに過去のことですね。
顔を上げた時に目に映ったのは朝焼けの空で、今までの人生を振り返っていたら一晩中かかっていたということを意味するとともに何かが始まるような予感をさせる描写ですね。
平安貴族のように占いで行き先を決めるような生き方はできなくても、何か大きなことを始めようとしているということがわかります。
続きの歌詞も見ていきましょう。
どうせ尽きる命なら、本気で生きた方がいい
行こう お陽様は東から 俺はこの場所から
RESTART やっぱり本気な方がいい いずれ滅びる命なら
出典: RESTART/作詞:宮本浩次 作曲:宮本浩次
一日の始まりを告げる太陽が東から登るように、「俺」は今、ここから昇っていくというエネルギーに満ち溢れたこの部分の歌詞。
人生の「RESTART」には凄まじいエネルギーが必要で、若い時にスタートするよりも壁も高いでしょう。
それでも、いつか命尽きるならば、その時まで自分の人生を「本気」で生きた方がいい。
人生を振り返った男が出した決断はこれでした。
楽でも本気で生きられない人生に意味はない、今からなりたい自分になるんだという攻める姿勢が描かれた歌詞。
聴いているうちにこちらまでエネルギーに満ち溢れてくるのを感じますね。
人生という歴史絵巻はまだまだ続いていく
嘘が誠か 誠が嘘なのか
俺の生涯の歴史絵巻は まだ巻を閉じるわけにはいかない
パラドックスまみれ ハートは破れし日々を枕に
窓の外 輝く月を見ながら 俺は明日を思った
出典: RESTART/作詞:宮本浩次 作曲:宮本浩次
何が本当か、何が嘘かなんてわからない現代社会。
こんなところで人生の幕を閉じるわけにはいかず、自分や家族を守るため保身に入ることだってもちろんあるでしょう。
「パラドックス」とはパラドクスとも言いますが、矛盾のことですね。
矛盾まみれの世の中で、枕に横たわる自分はまるで、傷ついた心が失敗した日々を枕に横たわっているよう。
そして、そこまで考えて、矛盾があるのは社会だけでなく自分も同じだと気づいたのでした。
つまり、守りを選ぶ生き方を責めるわけではない、実際に自分もそうやって生きてきたが、自分はこれからまた戦いたいという矛盾を抱えているのですね。
世の中筋が通っているように見えても自分も含め矛盾だらけで、社会も自分も疲弊し切っている。
それでも月は美しいし、明日はやってくる。
だから、「俺」はまだやれるということなのでしょう。