最後に 新宿文化の復興を願う

不吉さはなお増し続けるけれども

アーバンギャルド【シンジュク・モナムール】歌詞の意味を考察!この世をどう演じるの?嘘を望む理由とはの画像

おんなじだ この街は 劇場と おんなじだ
演じるの花形女優 幕が降りるのは早い

シンジュク・モナムール
生きてるうちよ 死んだら負けよ それだけよ
飛んでくれるなお嬢さん 背中の桜が泣いている

出典: シンジュク・モナムール/作詞:松永天馬 作曲:松永天馬

少女のセリフがまた挿入されます。

セリフをいえるということはまだ少女に生命が息衝いているということです。

ならば安心できるかというとそのセリフの内容が暗い予兆を呼び込みます。

新宿の街全体が舞台のように感じられて少女は天使役を務めると宣言しました。

実際に当時の新宿で街を舞台にしてゲリラ公演した人びとは紹介済みです。

少女はまさにひとり劇団の座長でありマドンナ的存在でもあります。

この街でどんな演物を魅せようとしているのでしょうか。

白昼堂々、ヒロインがデパートの屋上から身を投げてしまう悲劇です。

この演目は寸劇のようなものですからすぐに終わります。

少女の人生がこの寸劇のように短いものでないことを祈るばかりです。

語り手は相変わらず少女に言葉を投げかけます。

堂々巡りの言葉ばかりで変化に乏しいと思われるかもしれません。

飛んでくれるなお嬢さん 背中の桜が泣いている

出典: シンジュク・モナムール/作詞:松永天馬 作曲:松永天馬

先ほどは天使を思わせる背中の羽について語っていました。

いまでは生命の短い桜花について歌っています。

まだ少女が飛び降りてはいないとは分かるのですが桜花というものに喩える辺りが不吉でしょう。

哀れな少女の運命はどうなるのでしょうか。

女優気取りで悲劇を真似てみただけならば少女にも明日はあります。

女優魂を焦がして燃え尽きるほどに心が傷んでいたのならば結果はどうなるでしょう。

いよいよクライマックスの歌詞になります。

ご覧いただきましょう。

言葉遊びのわらべうたが響く

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シンジュク・モナムール
信じてくれよ 傷ついてくれ 泣いてくれ
嘘をついてよ お嬢さん 最後の最後まで

シンジュク・モナムール
さよなら三角 またね新宿

出典: シンジュク・モナムール/作詞:松永天馬 作曲:松永天馬

語り手はもはや自分自身の冷静さも保てていません。

自分の言葉の軽さで少女に真剣な想いが伝えきれずにいたことを嘆いているようでもあります。

傷付けや泣けという思いは少女に向けられたものではないでしょう。

新宿の街ゆく人へ、あるいは失恋の原因を作った人へこの言葉を送っているようです。

嘘は最後まで突きとおすのが女優というものだろうという少女への訴えかけはどうでしょうか。

つまり少女は自殺企図を有言実行して、演じたセリフを現実にしてしまったとも解釈できます。

「シンジュク・モナムール」のサウンドはこうした解釈を持っても悲痛さを感じさせないままです。

アーバンギャルド固有の毒に塗れたポップスが響いているだけなのです。

浜崎容子と松永天馬のツインボーカルには固有の軽さがあります。

一方で心拍数が異常に上がるような忙しないビートだけが不吉な雰囲気を醸し出すのです。

最後のラインの言葉は人の死に向けたものとしては軽すぎます。

昔からあった「さよならさんかく またきてしかく」という言葉遊びのわらべうたがネタ元です。

さよなら三角 またね新宿

出典: シンジュク・モナムール/作詞:松永天馬 作曲:松永天馬

これでは少女がさよならしたのか、また来るから新宿の街よ待っていてねなのかが判定できません。

「さよならさんかくまたきてしかく」が言葉遊びであるように、松永天馬はいたずらを仕掛けたのです。

生死というものを語るにはあまりにも軽いこの言葉遊びでの完結の仕方。

「シンジュク・モナムール」という曲の主題はドラマそのものにはないと宣言しているようです。

描きたかったのは往年の猥雑な歓楽街であり演劇の街であった新宿という舞台そのものでしょう。

これは生き生きとして最新文化の発祥の地であった新宿という街こそが主人公だとも読めます。

これほどまでに演劇というものが隅々まで行き届いていた文化の街としての新宿にまた会いたい。

松永天馬は少女の命運に関してはぼかしながらもこの点だけは鮮明に表現します。

そこでは嘘ともいえるセリフを口にしながらこの世界で道化を演じきる役者たちがいました。

こうしたたくさんの役者が吐いた嘘こそが新宿文化を活況付けたのだからリスペクトしたいのです。

芸術文化はもちろん真実を含みます。

不思議なことにその際に虚構を媒介にして伝えきるというのが演劇の根本です。

少女の嘘にずっと振りまわされた私たちリスナーも最後まで楽しみました。

語り手や彼女の芝居がかった言葉からかつての新宿の真実を魅せられた気になります。

これぞ「シンジュク・モナムール」という楽曲の怖ろしさです。

松永天馬が夢見た演劇や文化の街としての新宿が復興することを願います。

芸術や文化を発信しなくなったならば新宿はただ巨大なだけのビル街ですから。

ここまで読んでいただいてありがとうございました。

OTOKAKEとアーバンギャルドの軌跡

アーバンギャルド【シンジュク・モナムール】歌詞の意味を考察!この世をどう演じるの?嘘を望む理由とはの画像

OTOKAKEにはアーバンギャルドの関連記事があります。

これからもさらに増えてゆく予定です。

その中から「魔法少女と呼ばないで」の記事をご紹介しましょう。

アーバンギャルドによる資本主義とkawaii文化への批評とも思える歌詞です。

渾身の解説記事になっています。

是非ご覧ください。

アーバンギャルドが2012年に発表した「魔法少女と呼ばないで」は松永天馬らしい皮肉と諧謔に満ちた歌詞です。主旋律はポップでありながらハードコアかと思うようなサウンドも素晴らしいもの。日本のkawaii文化への痛烈な一撃でしょう。歌詞を紐解いてみます。

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