「シンジュク・モナムール」が描いたもの

アーバンギャルド【シンジュク・モナムール】歌詞の意味を考察!この世をどう演じるの?嘘を望む理由とはの画像

2015年12月9日発表、アーバンギャルドの通算7作目のオリジナル・アルバム昭和九十年」。

このアルバムに収録された「シンジュク・モナムール」をご紹介しましょう。

タイトルとおりに東京・新宿の街が舞台になっています。

しかし若いリスナーには馴染みのない光景が広がっていることに気付くでしょう。

リスナーのみならず松永天馬自身も後追いで勉強しながら得た知識を総動員しています。

歳を経たリスナーにとってどう響くのか非常に興味深い楽曲です。

新宿という街は色々なアーティストや歌手がテーマに選んできました。

中でも藤圭子の「新宿の女」は非常に有名です。

新宿を含めて東京なんて虚飾ばかりだと歌いきった曲で藤圭子自身が一番好きだった歌。

「新宿の女」がリリースされたのは1969年です。

アーバンギャルドが「シンジュク・モナムール」で描いた新宿もこの時代になります。

猥雑で危険に満ちていて毒のある歓楽街・新宿では嘘こそが重宝されました

そんな遠い日の新宿の情景をこの時代に語り直したのが「シンジュク・モナムール」です。

注釈がないと分からないモチーフがいっぱい詰まっています。

理解に必要な箇所には説明を加えながら、この街に生きた少女の姿を浮き彫りにしましょう。

それでは実際の歌詞をご覧ください。

この世は演劇みたい

少女のセリフと語り手の言葉と

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四月新宿失恋で 少女は死ぬって決めたのさ
しょせんこの世なんざ芝居小屋 ショウが終わりゃそりゃ花吹雪
いっそ春でも売りましょうか 誰かのハートを盗りましょうか
さりとてあの世までカーテンコール 遠く聞こえたら御の字おんなじだ

出典: シンジュク・モナムール/作詞:松永天馬 作曲:松永天馬

歌い出しの歌詞になります。

まず性急なビートに驚かれた人も多いでしょう。

しかしボーカルが入ると多少は落ち着きます。

けたたましいポップスで心が浮く感じでしょう。

一方で歌詞の情報量が膨大なので覚悟してください。

主人公は新宿で生きる少女です。

語り手の正体は明示されません。

ただし少女のことをひどく心配している男性というイメージは伝わります。

少女は失恋のショックで抑うつ状態にあると歌われるのです。

さらに自殺の意志を仄めかしているのですから穏やかではありません。

その点を語り手が非常に心配しています。

少女を宥めるための言葉をそれこそ連発するのです。

芝居というモチーフが歌詞の全編を貫いています。

アーバンギャルドの音楽自体が演劇との親和性を高めたものです。

芝居がかっている雰囲気というものを醸し出します。

人生は演劇のようだという言葉は昭和の時代からよく使われたものです。

この「シンジュク・モナムール」の時代設定は昭和40年代かと思われます。

西暦だと1965年以降から1970年代初頭でしょう。

実際に自意識がしっかりと覚醒めた状態でこの時代の新宿を体感できた人はうらやましいです。

この頃の新宿ではベトナム戦争へ参加することから逃げた米兵たちを匿う拠点がありました。

安保闘争・学園紛争など社会運動が盛んな時期でもあります。

特にフランスの演劇人であるアントナン・アルトーの「演劇と形而上学」が訳されました。

ここでの残酷劇の理論の先進性などに目を啓いた演劇人が続出します。

芥正彦・寺山修司・唐十郎・鈴木忠志・佐藤信。

天才たちの百花繚乱で演劇から派生するカルチャーが時代を席巻します。

松永天馬はこの時代を後追いですが愛し続けているのです。

主人公の少女にアングラ劇団の演劇人かぶれという属性を付け加えました。

ひとりの劇団で女優やっています

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屋上は ステージと おんなじだ
演じるの看板女優 演じて悲劇のヒロイン

出典: シンジュク・モナムール/作詞:松永天馬 作曲:松永天馬

新宿のデパートの屋上で自殺の意志を固める少女が描かれます。

この少女は失恋によって自ら死を選ぶという悲劇性にのみ惹かれているのです。

少女にとって人生の主役は彼女自身のみでしょう。

この少女が属する劇団には彼女しか女優がいません。

ひとりしかいない俳優である彼女は当然にその劇団の看板女優になれるでしょう。

人生そのものを演劇の何かの演目のようにしか捉えきれていない若さが存在します。

実際に真剣に死というものを考えている様子はありません。

とにかく自分の人生を悲劇の主人公として仕立て上げたいとばかり願っているのです。

根っからの俳優人生ともいうべきものがこの少女にあるとはあまり思えません。

ただ青春という疾病を罹患した状態で正常な状態ではないのです。

考えることはある種の暗さというものを身に纏うことでしょう。

深刻さを演出しようとしますが、人生哲学の在り方としては若くて浅薄です。

しかし語り手はこの少女に肩入れしています。

どうしても生命だけは救いたいと願うのです。

少女と生命と演劇と

橋本治が生きた時代へのオマージュ

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シンジュク・モナムール
生きてるうちよ 死んだら負けよ それだけよ
飛んでくれるなお嬢さん 背中の翼が泣いている

出典: シンジュク・モナムール/作詞:松永天馬 作曲:松永天馬

「シンジュク・モナムール」というカタカナフランス語を訳すと「わが愛、新宿」となります。

少女は生命の重さというものに関して無頓着です。

こうした重要なことよりも悲劇の主人公として涙を誘うことばかりを考えています。

もちろん愛は尊い価値を持ったものでしょう。

その愛に裏切られたのですからショックを受けているのは仕方のないことです。

しかし生命があるからこそ愛も生まれます。

自ら生命を絶ってしまっても問題は何も解決しないままにそこに遺されるのです。

語り手は様々な言葉で少女の翻意を誘おうとします。

飛んでくれるなお嬢さん 背中の翼が泣いている

出典: シンジュク・モナムール/作詞:松永天馬 作曲:松永天馬

このフレーズは小説家・随筆家だった橋本治が学園祭のために用意した言葉のパロディです。

著作権の関係上、以下のWikipediaからの引用をご覧ください。

1968年(昭和43年)東大在学中に、「とめてくれるなおっかさん 背中のいちょうが泣いている 男東大どこへ行く」というコピーを打った東京大学駒場祭のポスターで注目される(当時は東大紛争のさなか)。

出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/橋本治