Acid Black Cherry「2012」
Janne Da Arcのボーカルとして絶大な人気を誇るyasuさん。
バンドの活動休止後はAcid Black Cherryとしてソロ活動を続けています。
そんな彼が2012年にリリースしたのが、アルバム「2012」でした。
アルバムの中でも重要な楽曲
今回ご紹介するのは『その日が来るまで』という楽曲です。
アルバムの中でも非常に重要な意味を持っている、とyasuさんが語るほど大切な本楽曲。
前年に発生した東日本大震災をうけて制作されたそうですが、命や運命といったものを強く感じさせます。
このことを知らずに歌詞を読むと、とても宗教色が強い作品に感じられるでしょう。
しかし震災というテーマを念頭において歌詞を読んでみると…いかがでしょうか。
きっと見えてくる世界が大きく変わるはずです。
また、この楽曲が発表された2012年は、マヤの予言と呼ばれる人類滅亡説が世に出回っていた時期でもあります。
そんなことも合わせて考えると、命や運命といったテーマが色濃く見えてくることはいうまでもないでしょう。
美しい自然を奪った災害
牙をむく地球
静かな海と 輝く緑
すべて壊れて 泣き出した空
神様教えて…滅び逝く運命(さだめ)は
今の時代じゃなきゃいけませんか?
出典: その日がくるまで/作詞:林保徳 作曲:林保徳
まさに東日本大震災を思わせる描写から始まります。
あの地震で何よりも大きな被害をもたらしたのが、津波。
普段は穏やかに優しく人々を見守ってくれている、そんな大きな大きな海が、あの日だけは牙をむきました。
建物も軽々と越えるような大きな波が、あの一帯を全てのみ込んでしまったのです。
そしてあの地震の後、さらに人々を苦しめたものがありました。それが雨です。
悪天候で救助が難航している、というニュースを目にした人も多かったでしょう。
その雨はまさに地球の嘆きだと、作詞したyasuさんはそう捉えているようです。
だからこそ地球に、そしてそんな地球を見守っている大いなる神に問いかけました。
それが3~4行目に綴られている言葉。
これはまさに、大震災が発生したという事実を受け入れられない人々の悲痛な叫びなのです。
受け入れがたい事実
もう眠るといい ずっとここにいるから
その日が来るまで この手は決して離さない
神様教えて…命まで奪うなど
あの子が何をしたというのですか?
出典: その日がくるまで/作詞:林保徳 作曲:林保徳
津波の脅威・自然の脅威からなんとか逃げ延びた人々。
ここでは震災後、命からがら逃げだして避難所にいる人たちの心境を表しているのでしょう。
この部分で描かれているのは、幼い子どもを連れた母親でしょうか。
繰り返される大きな揺れ。いつくるかわからない津波の恐怖。どこからともなく聞こえる人々の悲鳴。
それらはまだ地震がどのようなものかわかっていない幼子にも、恐怖という感情を植え付けました。
恐怖に震える我が子の手をぎゅっと握りしめながら、安心できるようにと優しく包み込む母。
直接的な表現が一切出てこないにもかかわらず、震災の残酷さをリスナーに植え付けるようなフレーズです。
小さな願いを大きな空へ
願うことはただ1つ
あの小さな星を掴みたくて 透き通る空に手を伸ばしたよ
慰めはいらない 哀れみもいらない
ただ一つ 悲しみを還して
出典: その日がくるまで/作詞:林保徳 作曲:林保徳
人は死んだら星になる、とはよくいったものです。
この楽曲に登場する人も、きっとそう感じているのでしょう。
失われたのは大事な家族かもしれませんし、将来を誓った恋人かもしれません。
もしくは、何でもわかり合える友人かもしれませんね。
命を奪われた彼らは、星になって自分たちを見つめてくれている。
大切な存在を失い、この世に残された人たちは、こんな風に感じていたのではないでしょうか。
だからこそ、彼らが輝く大きな空に手を伸ばし、その存在に触れようとしたのでしょう。
続いて3行目。「還す」という言葉からは、2通りの解釈ができます。
まず1つは、自分自身が悲しみを感じたいと考えている、という解釈です。
震災直後は自分自身が生きること、そして幸いにも助かった周囲の人々が生きること、それに必死でした。
命をつなぐために食料を確保し、寝る場所を確保し、互いに支え合いながら余震に耐え続ける。
そんな風に必死になって、緊張の糸が張り続けた状態だったのかもしれません。
そのような状況がひと段落し、亡くなった愛しい人を想う余裕が生まれたとき…。
人は改めて悲しみに浸りたいと願ったのです。
これまで悲しむ暇がなかったけれど、いまくらいは思う存分あなたを失った悲しみに浸らせてほしい。
そんな、自分自身の感情に溺れたいという気持ちが1つでしょう。
もう1つは、直接的に大きな被害を受けなかった人たちに対する批判です。
東日本大震災は広範囲に被害をもたらしましたが、やはり東北地方が最も甚大な被害を受けた事はご存知でしょう。
そんな中で被災地の様子を取材しにくるマスコミ。被災した人々にマイクを向け続け、何かを語らせようとする。
そんな人たちは定型文的な慰めの言葉をくれるでしょうが、そんな表面的なもので癒されることなどありません。
人々が欲しかったのは、自分自身の悲しみを開放し、それに浸ることです。
だから構っている暇などない。自分の悲しみに溺れさせてくれ。
そんな、怒りのような批判的な気持ち、というのがもう1つでしょう。
いずれの解釈にしても、必要なのは「きちんと悲しむ時間」だったのです。