Coccoの『Raining』ってどんな曲なの!?
神曲。
2017年、デビュー20周年のCoccoがフジロックに初登場しました。そこで歌われたのが『Raining』。
「涙が止まらなかった…」との感想も聴こえたCoccoのフジロック参戦。
他にも代表曲が歌われましたが、特に神曲と評判になった『Raining』を今回は取り上げます。
フジロックでの『Raining』!
オーディエンス録画の画像ですが、当日の雰囲気は感じられます。雨の中Coccoの『Raining』が会場を震撼させます。
Coccoのエネルギーがよく分かる映像です。ピッチはやや不安定ですが、パワーは感じますね♪
『Raining』
「Raining」は1998年に発売されたCoccoの3枚目のシングルです。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/Raining
傷だらけになっても前に進もうとする姿を描いた名曲。
Coccoのアーティスト性がよく分かる楽曲です。やさしいサウンドの中に深くて重い感情の言葉が歌われます。Coccoの魂を削って作り出されたのがよくわかります。
「この曲はリストカットをやめられたきっかけです」という感想も聴かれる『Raining』。苦しみに共感してくれる楽曲なんですね。
その深い歌詞の世界を見ていきましょう♪
Coccoの『Raining』の歌詞の意味を解説!!
ハサミを握りしめて…。
ママ譲りの赤毛を
2つに束ねて
みつあみ 揺れてた
なぜだったのだろうと
今も想うけれど
まだわからないよ
静かに席を立って
ハサミを握りしめて
おさげを切り落とした
出典: Raining/作詞:こっこ 作曲:こっこ
ママに似た赤毛のおさげを自分で切り落としたという歌詞です。歌詞の意味はそうなんですが、いろいろ深読みできますよね。
「なぜだったのだろうと今も想うけれどまだわからないよ」
何が今もわからないのでしょうか?
ここは私の解釈ですが、「ママから虐待を受けていた過去」に対して、なぜそんな虐待をされる理由があるのか?ということが分からないのではないでしょうか。
虐待は本当に子供にとってつらい現実です。家庭という自分の居場所が地獄になります。毎日が地獄って想像できますか。
ママの気分が悪いというだけで虐待を受けてしまうのです。自分自身の存在を否定したくなりますよね。
大人になってもその傷は完全に癒えることはないと思います。
「おさげを切り落とした」という行為はママとの決別を表しています。そんな苦しい過去は忘れることができないけど、ママと距離を
取ることはできます。
ママを責めるというよりはママから離れる。という選択ができる年齢になったのではないでしょうか。
だからこそ、ママの象徴であるおさげをハサミで切り落としたのです。
子供だとママに虐待されながらも、生活の面倒はみてもらわなくてはいけませんから。
これからは自分の意志で生きていくと決意です。
それは とても晴れた日で
未来なんていらないと想ってた
私は無力で
言葉を選べずに
帰り道のにおいだけ
優しかった
生きていける
そんな気がしていた
出典: Raining/作詞:こっこ 作曲:こっこ
虐待の毎日では未来なんて期待することはできません。この毎日が終わらないかなと願うだけです。
どうしたらいいのかわからず、周りの人達にも虐待を伝えることができません。通報がバレたらさらに酷い虐待が待っているかもしれません。
何もできない、そんな無力な自分に自己嫌悪を感じています。
「帰り道」これは学校の帰り道か、買い物の帰り道でしょうか。
家の外では誰にも縛られずに自由です。頭上には透き通った晴れた空が広がっています。
気分が良くなって、「生きてけるかも」とほんのすこしの時間でも帰り道で感じた希望を描写しています。
教室で誰かが笑ってた
それは とても 晴れた日で
Tululu… woo…
出典: Raining/作詞:こっこ 作曲:こっこ