学校では友達と仲良く過ごして、うまくいっている様な歌詞です。
家と学校の対比の場面ですね。でも、虐待のことは先生にも友達にも誰にも言うことはできません。
髪がなくて今度は
腕を切ってみた
切れるだけ切った
温かさを感じた
血にまみれた腕で
踊っていたんだ
出典: Raining/作詞:こっこ 作曲:こっこ
自傷行為という自分の腕を傷つける場面。
自傷行為は自分を傷つける事によって自分の怒りを鎮め、押し潰されそうな気分を放出する行為です。
ママの虐待への怒りは、ママへ直接には返すことができないので自分を傷つけてしまうのです。無力な自分自身に対しても怒りを感じているのでしょう。
本当に涙が出てくる歌詞です。どれほど苦しかったのかを想像すると、胸が張り裂けそうになります。
あなたが もういなくて
そこには何もなくて
太陽 眩しかった
出典: Raining/作詞:こっこ 作曲:こっこ
ママとの決別の実感を歌った歌詞でしょうか。
やっと離れることができて、太陽の眩しさを感じて、生きていることを実感している場面。
自傷行為で死のうと思ったかもしれません。生き残ってしまったという気持ちも感じます。
この深すぎる心の傷と、いっしょにこれから生きていけるだろうかと不安な気持ちも見えます。
それは とても晴れた日で
泣くことさえできなくて あまりにも
大地は果てしなく
全ては美しく
白い服で遠くから
行列に並べずに 少し歌ってた
今日みたく雨ならきっと泣けてた
出典: Raining/作詞:こっこ 作曲:こっこ
「行列に並べすに」他の人のように普通に生きていけるのだろうかと不安を表現しているのではないでしょうか。
普通というのは「虐待をされた経験がない」ことを指しています。
それは とても 晴れた日で
未来なんて いらないと想ってた
私は無力で
言葉を選べずに
帰り道のにおいだけ
優しかった
生きていける
そんな気がしていた
教室で誰かが笑ってた
それは とても
晴れた日で
Tululu… tululu…tululu…
Tululu…
出典: Raining/作詞:こっこ 作曲:こっこ
Coccoは実際に自傷行為をしたり、拒食症を患っていたようです。おそらく実体験がベースとなった歌詞ではないでしょうか。
この経験がなければ、『Raining』を歌う必要は無かったもしれません。
歌手として歌を歌って収入は得られますが、でもこれってCoccoにとって本当にしあわせなことなのかなと思います。
この『Raining』を歌う度に、その時の感情と向かい合わないといけません。つらい経験を何度も思い出すようなものです。その度に心を何度もナイフでえぐられるのです。
これって相当ストレスですよね。Coccoの身を心配してしまいます。
しかし、違った見方をすると歌うことで「自分で自分自身を癒やしている」のかもしれません。
歌うことで過去の自分と向き合いますが、それと、同時に過去の自分を認めて許しているのです。
なにも抵抗できず無力だった自分を許すことで、今の自分が存在していることも認めることができます。
ママのことも、どうにか許そうと、もがいている気持ちも込められていると思います。ママがいなければ自分は存在しなかったのですから。
壮絶な感情を歌った『Raining』。あなたはどの様に感じましたか?
『Raining』の空気感。
『Raining』の歌詞は非常にヘビーな状況を歌っていますが、曲の雰囲気は晴れやかな青空のような印象です。
これが『Raining』の救いです。
おそらく、Coccoの気持ちとしては「傷だらけになって死ぬほどつらかったけれど、どうにか生きていけそうだよ」という想いを込めてこの曲調になったのではないでしょうか。
私はそう思いたいです!
Coccoの『Raining』のスコアをチェック!
カバーする?
この曲はカバーできません(笑)。単に演奏するのなら出来ますが、Coccoレベルの深さでこの曲を歌うとなると困難です。
とはいっても、無理にCoccoレベルを目指す必要はないので自由に楽しむのが一番ですね♪