一人であると少し寂しさを感じる一日の終わり。
しかし大切な人がいると、全く違う印象になります。
一日の終わりは、幸せな思い出が増えたのと同じといえるのです。
歌詞中にある「さよなら」は、普段であれば別れを意味する悲しいもの。
大切な人にする「さよなら」は、「またね」というフレーズが続きます。
その日に一度別れはするものの、再び合う約束をする言葉でもあるのです。
寂しい言葉も決して寂しくはなく、前向きな明るい言葉となります。
全ては人の心に宿る、感情に支配されているのでしょう。
悲しい言葉でさえも、明るい言葉に変えてしまう魔法のように感じます。
Mr.Children「空風の帰り道」の幸せな世界
Mr.Childrenの「空風の帰り道」をひも解くと、恋人がいる素晴らしさに気づきます。
心を支え合えるから、どんなことでも楽しめる。
心を支え合えるから、素直に気持ちを表現できる。
恋人がいるのは、とても素敵なことなのですね。
たとえ悲しいことでも、本人以上に悲しんでくれる。
嬉しいことでは、本人以上に喜んでくれる。
こんな関係が近くにあれば、日々楽しくて仕方ないでしょう。
あたり前のことの大切さ。
とても心に染みて、これまで以上に大事にしたい気持ちだと感じます。
惜しい時間
悔やんでも 嘆いてても
時間は過ぎてしまうから
花や草木に習い僕ら
黙って手を振ろう
出典: 空風の帰り道/作詞:桜井和寿 作曲:桜井和寿
恋人といられる楽しい時間は、瞬く間に過ぎ去ってしまいます。
次また会えるといっても、名残惜しさは感じるでしょう。
別れたくなくて、いつもよりも遠回りをしたり、歩く速度を緩めたりするものです。
それでも結局は別れを迎えて、ギリギリまで繋ぎ続けるお互いの手。
お互いの手が伸びきったところで、ようやく「さよなら」をいうタイミングになります。
名残惜しいけれども、また会えると心を奮い立たせてゆっくりと手を振るのです。
君がいるから
今日の日が終わる
また必ず会える
「さよなら」は悲しい響きだけど
僕が言えば愛の言葉
出典: 空風の帰り道/作詞:桜井和寿 作曲:桜井和寿
「さよなら」するのは悲しいけれども、恋人同志であれば全く違う響きになります。
過ぎ行く背中を見つめながら歩き始めて、気になり振り返るタイミングも全く同じ。
何度振り返っても変わることのないタイミングは、お互いの姿が見えなくなるまで続きます。
この別れの余韻がより一層、愛する気持ちを深めるのでしょう。
たとえこの場は別れても、また会える期待が大きく膨らみます。
これからも
からっ風が吹いたから
ポケットに手を入れて歩くよ
花や草木に習い僕は
向かい風をうけて
一人でバス停まで
からっ風の帰り道
出典: 空風の帰り道/作詞:桜井和寿 作曲:桜井和寿
一人で歩く帰り道は、こんなにも寒かったのだと実感させます。
先ほどまで感じていた手の温もりは、帰り道にはありません。
容赦なく吹き付ける冷たい冬の風。
彼女の温もりを、より愛おしくさせるのです。
静かにポケットにしまった手には、まだ愛おしい彼女の感覚が残っています。
その感覚だけを大事にしまい込み、バス停までの道のりを歩み続けるのです。
もう彼女なしの人生など考えられないほどに、愛おしさを膨らませていきます。
Mr.Children「空風の帰り道」は冬の名曲
何気ない恋人同士の光景が、こんなにも素敵な表現になるのだと驚きます。
寒い冬だからこそ、より一層恋人との温もりを感じられ愛おしさを募らせるのでしょう。
愛するという、人にとって貴重な財産。
このような感情を与えてくれた神様に、感謝してしまいます。
いくつになっても、いつまでも、大切にしたい感情だといえます。
終わりに
Mr.Childrenの「空風の帰り道」の解釈、いかがでしたでしょうか?
恋人との別れも、また会える約束と思えば素敵なことになりますね。
本作がシングルになっていないのは、不思議なくらいです。
大切な人との時間に本作を添えるのは、とても素敵な演出となるでしょう。