Mr.Childrenの「and I love you」とは?

「and I love you」は、2005年6月29日に発売されたMr.Childrenの27枚目のシングル、「四次元 Four Dimensions」(よんじげん フォー ディメンションズ)に収録されている楽曲です。
12作目のアルバムである『I ♥ U』(アイ ラブ ユー)にも収録されており、日清食品「カップヌードル "NO BORDER"」CMソングとして起用されたことでも話題になりました。
「and I love you」は「タガタメ」の核心部分?
「and I love you」は「タガタメ」の核心部分をシンプルにするというテーマで書かれた楽曲ということが言われていますが、それは一体どういうことなのでしょうか。
子供らを被害者に加害者にもせずに
この街で暮らすためまず何をすべきだろう?
でももしも被害者に加害者になったとき
かろうじて出来ることは
相変わらず 性懲りもなく
愛すこと以外にない
出典: https://twitter.com/Fondlesi/status/900873731542667264
これは「タガタメ」の歌詞の一節です。
「子供らを被害者に加害者にもせずにこの街で暮らすためまず何をすべきだろう?」という問いかけが印象的ですね。
そして、「でももしも被害者に加害者になったときかろうじて出来ることは」という言葉に続く答えは「愛すこと以外にない」ということ。
反戦、そして、平和へのメッセージが色濃いこの「タガタメ」という楽曲ですが、一人では世界平和は成し得ないことをわかっているのです。
「愛すこと」がどうして子供達を戦争から遠ざけるための一歩なのか?と思う人も多いかもしれませんね。
自分の恋人や子供など、誰かを愛する気持ちがあればその人の心や命が死に至るかもしれないような戦争を起こしてはいけないと考えるはずですよね。
では、そうやって誰かを愛する気持ちはどこから生まれるかというと、親など、誰かに愛された経験があるからこそ生まれることが多いのではないでしょうか。
そうした、繋がって行く愛の連鎖こそが、平和への第一歩だと考えているのでしょう。
そして、もし戦争が起こってしまっても、たとえ敵と呼ばれる人たちにだって愛する人たちがいるはずと愛することができれば、戦争は終わるはずということですね。
「and I love you」が「タガタメ」の核心をシンプルにしているという意味が少し見えてきたのではないでしょうか。
曲名だけを見ると、恋愛の曲かなと思いますが、突き詰めると平和の曲だということですね。
作詞作曲をしているボーカルの桜井和寿さんは、愛とは想像力ではないかという言葉を「Mr.Children Stadium Tour 2015 未完」の際に残しています。
ここからは「and I love you」の歌詞の解釈をしていきますが、みなさんも大切な人を思い浮かべながら、想像力を目一杯働かせて、歌詞の意味を考えてみてください。
きっとそれぞれの解釈が、それぞれの愛の形を物語ることになるのでしょう。
Mr.Childrenの「and I love you」の歌詞の意味に迫る!
はぐれずに付いてきて欲しい、愛しい君へ
飛べるよ 君にも
羽を広げてごらんよ
一緒に行こう さぁ準備を
ほら 早くしておいでよ
はぐれずに付いて来れるかい?僕に
出典: https://twitter.com/jpop_lala_a/status/895950149091901441
「飛べるよ 君にも 羽を広げてごらんよ 一緒に行こう さぁ準備を」という歌詞は、想像の翼を広げて、一緒に生きていこうと大切な人に呼びかけている歌詞といえるでしょう。
心には想像力の翼を持っている「僕」。
それは、しがらみばかりのこの世の中でも自由な心を持って生きている証です。
そして、そんな「僕」に「君」はついて来れるかい?と訊ねているのですね。
互いに何かを演じて保たれる関係でも、君は一緒に生きてくれるかい?
君には従順を僕には優しさを
互いに演じさせて 疲れてしまうけど
それでも意味はあるかい
どう思う?
今も欲しがってくれるかい?僕を
出典: https://twitter.com/Q4y3islisOgZZ1P/status/859061890382573573
一緒に生きていくということは、時には相手を思いやり、例えば、自分は辛くても辛くないふりをしなければならないこともあるでしょう。
「君には従順さを 僕には優しさを 互いに演じさせて 疲れてしまうけど」という歌詞には、一緒に生きていくためには自由にばかりは生きられないけど、それでも一緒にいる意味があると思うか大切な人に確認している歌詞です。
「僕」の優しさが演じられたものであっても、「今も欲しがってくれるかい?」という言葉には、自分の全てをさらけ出すような姿が伺えます。
人間はどんなときも何かしらを演じて生きているものではないでしょうか?
しかし、それが悪意を持って騙したりするための演技であれば受け入れがたいものですが、相手を思いやって「優しさ」を演じるならば、それはそれで一つの優しさの形だと感じますよね。