椎名文学最高峰「ありきたりな女」
2014年11月にリリースされた5枚目のアルバム『日出処』に収録された「ありきたりな女」。
椎名林檎の母、彼女自身、そして彼女の娘というトライアングルな母娘の関係を綴った楽曲です。
2013年11月に女児出産を報告した椎名林檎。インタビューで、女児を産んだからこそ書けた詞だと答えています。
そんな椎名文学最高峰と謳われる「ありきたりな女」についてご紹介します。
孤高のシンガーソングライター・椎名林檎
埼玉生まれの福岡育ち
1978年11月25日生まれ、今年(2018)で40歳になる椎名林檎は、埼玉生まれ、静岡そして福岡育ち。
高校を中退しフリーターをしながらデモテープ作りに励んでいました。
実は高校1年のときには、第19回ホリプロタレントスカウトキャラバンに出場した経験もあります。
椎名林檎本人は、アイドルになるつもりもなく、賞金100万円に惹かれ友だちと一緒に応募したそうです。
そんな椎名林檎は九州代表に選出され、全国大会に出場することになりました。
そのまま合格していたら、ホリプロのアイドルになっていたかも!?
紆余曲折の後、1998年5月27日、東芝EMI(当時)から「幸福論」でデビューを果たしました。
2ndシングル「歌舞伎町の女王」で一気にメジャー
1998年9月9日リリースの2ndシングル「歌舞伎町の女王」は、そのセンセーショナルなタイトル、歌詞が話題。
椎名林檎の名は一気に全国区となりました。
1990年代前半に流行した「渋谷系」をもじり「新宿系自作自演屋」を自称した椎名林檎。
その頃から、椎名林檎の他に類を見ない超個性的なセンスが光っていたのです。
「東京事変」結成と解散
それまでソロシンガーとして活躍していた椎名林檎は、2004年5月31日、バンド「東京事変」としての活動を宣言しました。
シングル7枚、配信局7曲、スタジオアルバム5枚をリリースした「東京事変」は、惜しまれつつ2012年2月29日の日本武道館公演をもって解散しました。
バンド解散後、再びソロとして活躍
「東京事変」解散後、ふたたびソロとして音楽活動をするようになった椎名林檎。
SMAPに楽曲を提供したりセルフ・カバーアルバムをリリースするなど、話題に事欠きません。
2017年には東京2020オリンピック・パラリンピックの開会式・閉会式を企画する「4式典総合プランニングチーム」に就任しました。
そして東京2020オリンピック・パラリンピックへの「フラッグ・ハンド・オーバー・セレモニー」検討メンバーに就任。
椎名林檎の活躍は日本に留まらず、世界に広がっているのです。
「ありきたりな女」徹底解剖
2014年11月5日にリリースされた5枚目のオリジナルアルバム『日出処』は、「東京事変」解散後、初のスタジオアルバムです。
2009年5月にリリースされた「ありあまる富」から2014年6月にリリースされた「NIPPON」までにアルバム未収録だった楽曲が収録されています。
オリコン週間チャート3位、2014年11月度月間チャート7位にランクインしました。
今回徹底解剖する「ありきたりな女」は、同アルバムに収録されています。