休まずにKing 働くよKing
人の庭に全て足りるまで
出典: 庭師KING/作詞:平沢進 作曲:平沢進
常春の「庭」を作ることは「庭師」としての役割です。
豊かな「庭」は生命の誕生を祝うための場所でもあります、
ここで生まれ生きて行くものがある限りそのための労力を惜しむことはありません。
万物の長となり種を植え続けることは救済を続けることでもあるのです。
豊穣への願い
たんと吹け風よダントツに爽快に
パンパンにシャツを帆のように張らせ
たんと吹け風よ 人体の宇宙(そら)に
働け庭師 休まずKing
出典: 庭師KING/作詞:平沢進 作曲:平沢進
男として、父として、「庭師」として最大限の力を振り絞る時がやってきました。
体中に強く激しい風が吹き荒れ、すべてのエネルギーがこの風に幸運を呼びます。
何億もの種子の入った袋を張り裂けるほど膨らまし「KING」としての力を誇示する時です。
よく人の体は小さい宇宙だといわれますね。
宇宙は神秘の世界であり、また人の体も精巧に作られた神秘の世界です。
そして宇宙の中心に向かうように、人体の中心に向かい風を送ります。
あらん限りの力で風を送り続けるのです。
大地が豊かに満たされるように、沢山の種子を送り命を創造するために…。
「庭師」は輝かしく命が整えられるまで耕かし続けなければなりません。
小さな王国
一つの稲穂の誇りで飾りたて
二文字の言葉で功徳を果たす
三歩めの歩行で己の名を見つけ
四歩めの玉座にキミを憩わす
出典: 庭師KING/作詞:平沢進 作曲:平沢進
どんなに些細なひと房の稲穂にもその中には沢山の種子があり宇宙があります。
ミクロの世界を覗き見ることは自身の「生」を確認することでもありますね。
すべてが生きてこそ自分も生かされるのです。
「愛情」や「希望」のある言葉は「キミ」にも喜びをもたらします。
そこで初めて私は満足を得るのです。
自分を労わることは二の次、三の次になります。
世界を征服することが必ずしも「王」の望みではありません。
「庭」は小さな隠れ家であり理想の王国のある場所です。
そこが小さな王国であろうと大きな王国であろうと問題ではありません。
そこに鎮座するのが「キミ」であることが大事なのです。
「キミ」に安らぎをもたらして初めて「庭」は完成します。
そこで初めてそこは王国となり私は「KING」となるのです。
四という文字は四つ葉のクローバーのように幸せの象徴でもあります。
そして「家」を司る四角は守られた安息の場所のことではないでしょうか。
自然への回帰
誰も見たことのない人類創生の話はもちろんフィクションにすぎませんね。
ですが人類が永遠の楽園を求め続けたことはフィクションではありませんでした。
別天地を求め辿り着いた場所を第二の楽園にするために自然を歪め庭を作ります。
遠い昔から楽園に見立て庭園をつくることは権力の象徴でもあったのです。
このことは古今東西変わらぬ人類の歴史でもあります。
庭を作ろうとするもの、それを壊そうとするものの戦いは革命を引き起こしました。
作っては壊す、作っては壊す。
この繰り返しは死と再生の往復のようなものでした。
そしてやっとの思いで得られた自由はやがて自然へと向かうのです。
まとめ~自然から再び楽園への回帰
最後にもう一度神話の話に戻らせてください。
西洋の古典の絵画などをみるとよく神話の話が出てきます。
エデンの園もよく使われる題材です。
神話の中では神を庭師に見立てたものが多くありますが庭は聖母そのものを指し示しています。
そして囲まれた庭は母の子宮であり庭師はその庭を耕やしていたのです。
ではこのエデンの園はどこにあったのでしょう?
それは宇宙を三つに分けたことに始まります。
エデンは天国に最も近い島にあったとされ天上にあるとされました。
地獄はそのさかさまの位置にあり地下にあります。
そして地球はその真ん中にあり宇宙の中心にあると思われていました。
勿論これは楽園を追放された人類の願望であり、自由を勝ち取りたいという要求でもあったのです。
そしてまだ天上にあるはずのエデンの園に戻りたいという気持ちは消えることはありませんでした。
人間には本能的に自然への回帰願望があるのかもしれませんね。
都会を離れキャンプ場に急ぐ週末の人達も回帰本能によるものかもしれません。
そしてその自然への回帰は生まれた場所に戻りたいという本能でもあるのです。
もっといえば戻るべき場所は天使のいる幸せの島「ヘスペリデース」ですね。
万物の長となった「KING」もいつかヘスペリデースに辿り着くのでしょうか。