Acid Black Cherryが歌う「冤罪(えんざい)」

Acid Black Cherry恋愛に関する歌だけでなく、社会の中に存在する重いテーマを曲作りに据える事ができる希有なアーティストです。

今回紹介する「罪と罰~神様のアリバイ~」も、そんな一曲。2009年に発売されたアルバム「Q.E.D」の4曲目に収録されています。

歌われるテーマは「冤罪(えんざい)」です。冤罪とは、自分が犯していない罪で捕まり、裁かれてしまう事ですね。

場合によっては自分や家族の一生が破壊されてしまうこのテーマを、作詞作曲したyasuさんはどのように描いたのでしょうか。早速歌詞を見て行きましょう。

罪と罰~神様のアリバイ~の歌詞を解説!

1番のAメロから重い!

謂れなき罪に問われ 裁かれた男がいる
神よ聞こえているのか? 無実の悲痛な叫びが

暗い部屋の中 虚ろな瞳のまま
乾いた涙を握りしめ
孤独に自ら 命を辞める前に
声を震わせて 彼は呟いた
「それでも僕はやってない…」

出典: 罪と罰/作詞:林保徳 作曲:林保徳

イントロは、Aマイナーの激しいエレキギターの音で幕を開けます。そしてヴォーカルの「謂(い)われなき」という最初の言葉からも、明るくポップな曲とは対照的な暗く重い雰囲気が伝わりますね。

登場人物は、Aメロの冒頭から冤罪で捕まってしまった状況に置かれています。「裁かれた」とあるので、既に裁判で判決を言い渡された後なのでしょう。

「暗い部屋の中」というのは、刑務所の独房でしょうか。絶望に打ち拉(ひし)がれて命を絶つ事さえ考える登場人物ですが、それでも身の潔白を証明しようとあがく心情が読み取れます。

当時話題になった痴漢冤罪の映画「それでもボクはやってない」

【罪と罰~神様のアリバイ~/Acid Black Cherry】歌詞に込められた意味を解釈!の画像

Aメロの最後に「それでも僕はやってない...」という歌詞があります。この曲が出たのは2009年ですが、2年前の2007年に、「それでもボクはやってない」という映画が大変話題になりました。

周防正行監督が緻密な取材を元に完成させた「痴漢冤罪」がテーマの映画です。一度捕まってしまうと無実を証明する事が非常に困難と言われる、痴漢冤罪。

この映画では、身に覚えのない痴漢行為で逮捕されてしまった主人公が、理不尽な取り調べや裁判に何とかして立ち向かい、無実を証明していこうとする様子が描かれています。

今回紹介している「罪と罰〜神様のアリバイ〜」も、もしかしたらこの映画に多少インスピレーションを受けたのかもしれませんね。

サビを見てみよう!

神よあなたが下した答えは…教えた正義とは何?
この声が届いたとしても…彼の傷みは消えない

出典: 罪と罰/作詞:林保徳 作曲:林保徳

Aメロの最初の方でも「神」という単語が出て来ますが、サビでも再び「神」という単語が出て来ます。

歌詞の意味を深く捉えれば、「神がいるなら、こんな理不尽な出来事はまかり通るはずがない」という意味でしょう。

そして仮に冤罪を証明でき、無実を勝ち取ったとしても、それに要した年月は取り戻せないし心の傷は消えることはありません。たった2行のサビですが、登場人物の厳しい現実を未来を表しています。

【罪と罰~神様のアリバイ~/Acid Black Cherry】歌詞に込められた意味を解釈!の画像

続いて2番の歌詞!

都合良く真実をねじ曲げた奴がいる
神よ何を見ていた? 人の不幸で私欲を肥やしてる

適当な指導者 いい加減なマスメディア
権力はいつも笑いながら
「神は助けもしない だが天罰も与えない
罪を裁くのは 人間(ひと)が創った法」

出典: 罪と罰/作詞:林保徳 作曲:林保徳

2番の歌詞では、冤罪の発生に影響を与える「メディア」を批判しています。メディアが世論や犯人に対する心象を形成する役割は、とてつもなく大きいものです。

1994年に起こった「松本サリン事件」では、被害者の1人だった無実の一般人を、多くの新聞やテレビがあたかもその人が犯人であるかのような報道をしました。

無実なのに犯人に仕立てあげられている人にさえ、神は慈悲をかけません。司法を取り仕切るのは神でなく、あくまで色々な偏見や欠点がある人だから、という訳です。

次に再びサビが入りますが、歌詞が少し変わるので記載しますね。

神よあなたは裁きの権限を…なぜ人間(ひと)に与えたのですか?
人は皆…儚くて弱く…ズルくあざとい…生き物(たましい)

出典: 罪と罰/作詞:林保徳 作曲:林保徳

中世のヨーロッパや昔の日本では、「神の信託」によって有罪や無罪を決めていた事もありました。例えば、「焼けた鉄を持って火傷すれば有罪」という何の根拠もない判断基準です。

現代人にとったらこんな基準で裁かれるのは耐えられません。しかし無実の罪を被っている人にとったら、現代の司法も合理性を欠く中世の司法も、どちらも信頼ならないと捉えているのかもしれません。