彼女が目を開ける。「楽しい!」と寄り添ってくる。

別れる言葉も病のことも言い出せずに、未来の夢を語る彼女の肩を抱き寄せる。

養生したら、治るかもしれない。新薬が開発されるかもしれないとふと思う。

「きっと、二人は大丈夫」と思う。思いたいのです。彼女は、尚、二人の未来を語るのです。

もう一人の主人公が、正直に話せとせかす。しかし、もう一人の主人公が、小さい声で囁く。

もう少しの間、このままに居させて欲しいと。 言葉を捨てて、彼女の笑顔に微笑み返します。

彼女が幸せに生きている姿を近くで見送ることが出来たらいいな。

彼女の、幸せこそが、主人公の 真の願いです。それが、主人公の「眼福」なのです。

⑦ 「眼福」

「そんじゃまたね 明日ね」
そんな風に今日を終えども
明日なんて見たこともないのにさ
随分あっけらかんとしてるわ

望むのは簡単だ あなたのいる未来が
ただこの目に映るくらいでいい
私はそれで眼福さ

私はそれで眼福さ

出典: https://www.uta-net.com/song/162130/

「そんじゃまたね 明日ね」その言葉の後に溢れ来る感謝の思い。

限りないいとおしさで、願うことはただ一つ。もう一度歩き直したいと切願するのです。

でも、現実に心が戻るたびに、絶望感で、とめどなく涙が流れるのです。

どれほどの悲しみを見つめて来たのでしょうか。

主人公の中に新たな闘病への決意が生まれていきました。

こんなにも大切な彼女への思いを知った幸せを感じているのです。

悩みの果てに「愛すること」の何かを、確かに感じているのです。

主人公の本当の願いは、別れがあっても、彼女が幸せに生きていってほしいのです。

彼女の、幸せのために深い祈りに入るのです。

彼女が、幸せに生きる姿を祈り続けることが、今の主人公の眼福なのです。

まとめ

いかがでしたか?

「眼福」は、難病を宣告された男性が、愛する人との別れと病気の告白が出来ない苦しみと真実の愛の気づき。

それらを歌った切ない歌詞としてひも解いてきました。

私たちは、日常の当たり前に流されています。この当たり前の一瞬一瞬が時の流れです。

その時の流れが、いのちそのものの流れなのですね。

当たり前の日々は、父母や友人や恋人の溢れるような愛に包まれているのですね。

この歌詞は、愛の気づきの大切さへの心の叫びのように感じられます。

どうしようもない悲しみや苦しみに出合った時、「眼福」に戻ってみませんか?

米津玄師さんの繊細で、どこか明るいメロディーと心を揺さぶる歌詞が、あなたへの勇気になると思います。

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