地図に描かれたものとは
轍が描くこれまでの地図
僕らの轍は ひとつになって
道草の日々が 果てない地図へ
出典: 轍~Wadachi~/作詞:MOMIKEN 作曲:KENTA
「轍」は、車の車輪が通った後に道に残る跡のことを指します。
そこから人が通った後にできる道、生き様を示す言葉としても使われるものとなりました。
銀魂のキャラクターそれぞれが歩き、作り上げてきた道。
それはいつか交わり、ひとつの物語として刻み付けられていきました。
道草という言葉。
そこからはバカバカしいギャグやエピソードを挟みながら進んできた銀魂のスタイルが思い起こされます。
世界の行く末や真剣な戦いからは一歩外れて、道草しながら歩いてきたような日々。
そんな日々を歩いてきた道が積み重なって、果てなく大きな地図になっていく。
地図に描かれたもの。
それはギャグも長編も、全ての出来事が彼らの生きてきた証。
いうなれば彼らの生き様が、地図に描かれているのです。
どこにいても共に
涙していたって 苦しくたって
離れていたって 忘れないで
いつになったって どこにいたって
独りきりじゃない
出典: 轍~Wadachi~/作詞:MOMIKEN 作曲:KENTA
たとえ離れていても、つらいときがあっても。
別々の道を歩んでも、共に歩んできた日々を忘れずにいる。
共に歩み、作り上げてきた地図があればどこにいても仲間のまま。
物語の終わりと新しい始まりをイメージする一節です。
「轍~Wadachi~」は、サビの歌詞が全て共通。
この先にどんなことがあろうと、今まで歩んできた物語を思い返せば独りではない。
それは物語の終わりを迎える万事屋のメンバーや、全てのキャラクターたちに。
そしてここまで銀魂という物語を見守り続けてきたファンに贈るメッセージです。
物語は終わり、彼らにもう会えなくなっても。
忘れなければずっと彼らの物語は生き続けていく。
これまでの歩みを大切に心に抱き、それぞれの道を歩き出していこう。
そんなメッセージが懸命に込められた一節なのです。
それぞれの歩き方で
ひとりひとりの歩幅は違っても
歩幅くらい 違っていいさ
道じゃない 道があっていい
出典: 轍~Wadachi~/作詞:MOMIKEN 作曲:KENTA
個性豊かなキャラクターたちが登場する銀魂。
生き方も歩き方も様々で、そのままでいい。
歩幅の違いは彼らの生き方の違いを思い起こさせます。
歩き方も自由で、歩く道も自由でいい。
人と同じ道を行かなくてもいい。
そんなメッセージは、銀魂ファンのみならず全てのリスナーを応援してくれます。
思えば銀魂そのものが、王道ではなく邪道を歩き続けてきたような作品でした。
けれどその道を貫き続けた結果、根強い人気のある一作となった銀魂。
歩いていく道はみんなと同じじゃなくてもいい。
自由に、自分なりの道を歩いていった先に見つかるものがある。
そんなメッセージを感じる一節です。
僕らが大事にしたいものとは
気にしないくらいでいいさ
僕らが 大事にしてりゃいいんだ
出典: 轍~Wadachi~/作詞:MOMIKEN 作曲:KENTA
歩幅を合わせることは、人とテンポを合わせること。
道を行くことは、人と同じ方法で進むことを指しているとすれば。
そんなことは気にしなくてもいいと歌う歌詞にもまた励まされます。
自分たちが大事にしていればいい。
「僕らが大事にしたい」ものとは何なのでしょうか。
それは他人からの評価ではなく、自分たちの中にあるもの。
自分たちの思い出や、歩いてきた道。
そういったひとつひとつの思い出を大事にしていられれば大丈夫。
僕らが大事にしたいものとは、自分たちが今まで歩いてきた道、轍そのものなのです。
それさえあれば大丈夫。
そう歌ってくれる言葉は、新たな旅立ちを前に背中を押してくれます。